There could be…
責任を負う時
文:グリナラ・カスマリエワ、ムラトベック・ジュマリエフ
第二次世界大戦後、ヨーゼフ・ボイスは一度もソビエト連邦を訪れることはなかったが、にも関わらず1980年代後半のソビエトのアンダーグラウンド・アートシーンでは、ボイスの人気は非常に高かった。ボイスにまつわる 他の多くの話と同様、この逸話もいくらか神話めいているが、ボイスは1986年に心臓発作に襲われ亡くなる直前、モスクワで開催された会議に招待されていたようだ。この会議は人権に関するものであったが、話によるとボイスは、権利について話す時ではなく、責任を負う時だと感じていたため、この招待を断ったのだという。この発言は、それまで多くの権利を求めて戦ってきたアーティストの発言としては矛盾しているようにも見える。果たして彼は、ソビエト政権を批判していたのだろうか? それとも全人類に、地球規模の環境危機に対して責任を負うよう要求していたのだろうか?
ソビエト連邦の崩壊から30年が経過し、ソ連崩壊後の中央アジアのすべての共和国は、自由主義的な考えを責任の概念なしに受け入れてきた。厳密に言えば、責任という概念は完全に個人の責任、あるいはその家族の責任へと縮小されたのである。このことは、日々の生活においてはますますの分断化へと繋がり、州レベルにおいては個々の家族や一族の力を強化するものとしてのみ解釈されていた。政府は、寛大にも人々に自由を与えているように見えて、実際には社会的ケアに対する自らの責任を軽減していたに過ぎない。このことは、広大な領土における、計り知れない社会的不平等、多数の労働者の移動、そして苦しみを引き起こした―立派で新しいユーラシアの、まさにリアルな比喩だ!
植民地時代には、中央アジア諸国は常に鉱物の供給源だった。ソビエト連邦からの独立後、地元のエリートたちのせいで状況はさらに悪化した。というのも、彼らは多国籍企業と共謀し、自分たちの国を個人的豊かさを追求するための野放しの最適な源泉とみなしたからだ。国の将来に対する彼らの懸念は、自身の家族の幸福の範囲に留まる。生態系の破壊、氷河や湖の汚染、動物種の絶滅、(パンデミックロックダウンの際に明確になった)市民の健康管理への無知は、宗教的および家長制の概念としてのみ精神性を解釈することに結びついている。政府からの圧力にもかかわらず、地元の活動家やジャーナリストたちは、長年にわたりこれらすべての問題を取り上げる、孤独なキャンペーンを続けてきた。
グリナラ・カスマリエワ、ムラトベック・ジュマリエフ
《There could be…》、2021年
写真シリーズ、寸法可変
アーティスト提供
『There could be…』は、グリナラ・カスマリエワ、ムラトベック・ジュマリエフによる、ビシュケクのショッピングモールの写真シリーズを用いた作品である。
作品タイトルは、ビシュケク市で雨上がりのキノコのように新しい建物が増える様子を目にした時に使う、典型的なフレーズに由来している。これは文化や社会福祉についての政治的決定への失望と、理想の都市や国家に対する私たちの想像力との奇妙な混合を暗示している。
| グリナラ・カスマリエワ、ムラトベック・ジュマリエフは、キルギスタンのビシュケクを拠点とするアーティストデュオ。これまで数多くの国際展やビエンナーレに参加し、ビシュケク国際現代美術展(2005〜2008年)や、都市の緑地帯の問題に特化したパブリックアートフェスティバルであるArt Prospect-Bishkek(2017〜2018年)でキュレーションを行う。ArtEast NGO(2002年〜)、現代美術学校プロジェクト(2009〜2019年)の設立者でもある。この2つのプロジェクトは、動的な社会的関与のためのスペースを育み、またここでの教育の成功により、2012年の光州ビエンナーレ参加を果たした。プリンスクラウス賞(アムステルダム、2010年)受賞、 Artes Mundi 4、Wales International Visual Art Exhibition and Prize(2010年)にノミネート。