4月1日展
アートバザール VS アートマーケット
![展示風景、中央:イェレナとビクター・ボロビエフ、《バザール》、インスタレーション、写真:アイサルキン・アディシェヴァ 展示風景、中央:イェレナとビクター・ボロビエフ、《バザール》、インスタレーション、写真:アイサルキン・アディシェヴァ](/resources/files/png107/exhibition-header-formatkey-png-w320m.png)
文:グリナラ・カスマリエワ、ムラトベック・ジュマリエフ
前回のインタビューで、キュレーターの高橋瑞木は私たちに重要な問いを投げかけた。「一般にアーティストとは創造、生産する人々だが、モノの過剰生産が自然環境にダメージを与えている今日、アーティストは自らの実践をどのように正当化することができるのか? アーティストは生産することなく、どのように芸術実践を持続することができるのか?」。インタビュー中の私たちの答えは十分に包括的ではなかったため、ここでインタビューの数日後にキルギスタンのビシュケクで開催された「4月1日展」への出展作品を例に挙げ、回答を補足したい。
エイプリルフールに捧げられたこの展覧会は、もともとビシュケク出身の建築家、キュレーターのウラン・ディアパロフのアイデアから生まれ、2003年より継続して開催されている。この低予算のイベントは通常、カジュアルな雰囲気の中、新しい作品を試し、友人と会う絶好の場所でもあるという理由から、中央アジアの現代アートコミュニティから多くの参加者を惹きつけている。今回はウラン・ジャパロフ、マリア・ウマロヴァ、マラット・ レイムクロフ、メダー・アフメトフ、フィリップ・ライヒムスを含むキュレーターグループが、カザフスタン、キルギスタン、ウクライナ、ウズベキスタンから応募した30名を選出した。
展示風景、中央:イェレナとビクター・ボロビエフ、《バザール》、インスタレーション、写真:アイサルキン・アディシェヴァ
展覧会はこの蚤の市のルールに則っており、アーティストは作品を販売する機会もある。「ある人には、交換、再起動、更新のプロセスが起こり、また別の人には、異なる文脈における経験の獲得と没入が起こる。蚤の市がバザールと違うのは、物(オブジェ)はほとんど常に独自の歴史を持っており、時間の痕跡と所有者の個性を備えているということだ」 。
訪問者が目にした(そして嗅いだ)作品の1つは、優雅なデザインのパッケージと、カップの上に置かれた灰のかすようなものを展示したインスタレーションだ。その匂いは、家畜と暮らし、直火調理を行うキルギスの田園地帯を連想させた。パッケージは輸出用商品のようで、「羊の糞ケーキ」と書かれた英語のラベルが貼られ、「プレス加工・乾燥」された「キルギスタン産高品質オーガニック製品」と記されていた。
《Smell of the Motherland》は、ビシュケク在住アーティスト、エミリー・ ティレコフによる鋭い皮肉の効いたインスタレーションであり、伝統的な属性の神聖化とともに高まるナショナリズムと、キルギスタンのエネルギー経済の現実的な停滞を巧妙に批判している。ティレコフの作品は、2008年のエネルギー危機の際に、クルマンベク・バキエフ前大統領が呼びかけた「牛の糞で家を暖めよう」という言葉を想起させる。確かに中央アジアの遊牧民にとって、牛や羊の糞は伝統的に最も古い燃料であったが、果たしてそれは私たちが目指すべきことなのだろうか?
注目すべきは、このプラットフォームは2020年12月20日、すでにビシュケクの実際の蚤の市で野外展覧会を開催していたことだ。この展覧会は、キルギスタンの社会政治的状況に対する応答であった。ビシュケク現代美術学校にとって、「展示スペースを蚤の市に移動することは、公的な政治が、法律が及ばない非公式の関係という現行領域へと移行したことを映し出す、象徴的なジェスチャーである」。
これは、コンドームの箱に書かれていた話の一つだ。「『ゴムはあるか?」、男性客が店に来てこう言った。私はあまりにも幼く、彼が何を言いたいのか全く分からなかった。ヘアバンドは置いていない、私は彼に言った。すると客の男性は、『コンドームはあるか?』と尋ねた。私は『ここでは販売していません!』と答えた。彼は目に見えて動揺し、あわてて立ち去り車に乗り込んだ。客を追いかけて店の外に出ると、サングラスをした女性が窓を開けてタバコを吸いながら、男性を車の中で待っていた。彼は走り去った。私は立ったまま、走り去る車を見ていた。この地域の道は素朴で舗装されておらず、車はうす汚れた泥の球を残していった…」。
保管されることを暗黙のうちに表明しないとしたら、美術作品とは何だろうか? 画家はキャンバスに下塗りし、彫刻家はブロンズを緑青で覆い、メディアアーティストは様々なハードドライブにデータを保存することに常に気を配っている。この作業はコレクターや美術館学芸員にも引き継がれる。彼ら/彼女らの義務は、モノを日光、湿気、ネズミから守ることだ。だからこそエルミタージュ美術館の地下通路には、あれほど多くの猫がいるのだ!
創造性の良い例として、ピエロ・マンゾーニが挙げられる。彼は何をすべきかを知っていた。缶詰工場経営者の彼の父親に神のご加護を! 今日、「キャンベルスープの缶」と言えば、あからさまにアンディ・ウォーホルへの言及を意味する。私たちは今も、美術作品を何世紀も保存するための競争に参加している。マルセル・デュシャンはこのことに抵抗を試みたが、上手くいかなかった。そしてマーケティングの観点から見た時、ジョセフ・コスースのコンセプチュアルなインスタレーション《一つと三つの椅子》は、第一に商品そのもの、第二に写真広告、第三にラベル以外の何物でもない。
Covid-19の夏に作られた自家製保存食は、「永遠」や「誰もが未来へ連れて行かれるわけではない」といった考え方から解放されている。トマトの賞味期限は所有者次第であり、トマトの瓶を開け、そして食べることは、まさに芸術行為である!(K. Murr)
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