セルビ・ジュマイェヴァ
ユーラシア・プログラムへの出発点:脂肪、フェルト、誤謬
beuys on/offとの出会いは、思いがけないものだった。過去20年間、中央アジアとユーラシア全域の草の根コミュニティを力づけ、維持する仕事に携わってきた。つまり私は、地域の文化実践者―その仕事は、多種多様な中央アジアの物語に深く根付いたものだ―の一員である。プロジェクトをその実施サイクルより長く継続させるためには、中央アジア外で始動した場合は特に、当事者意識が鍵になると考えている。重複、競合し合う、私たちも含む多くの文化労働者コミュニティ内でも、中央アジアの特殊性について全く理解しない「国際的」な専門的実践者に出会うことが頻繁にある。彼ら/彼女らは、帝国に仕える18世紀の探検家のテキストに影響された空想的な見方か、あるいは中央アジアを単に地政学的秩序の中で分割可能な単位として位置づける、モダニストの平板な教科書的見方かのどちらか一方を根拠にした、この地域への解釈の間を揺れ動いている。
ヨーゼフ・ボイスの幽霊―彼の「社会彫刻」という遺産は今も独自に息づいている―に挨拶し、会話する機会を持てたことを嬉しく思っている。ボイスは、情熱的に主要な制度的規範に挑戦し、また芸術的な規範の様々な倫理に貢献しただけでなく、創設しさえした―例えば、芸術教育への普遍的なアクセスや、地球環境の尊重や保護という国境を超えた概念などである。しかし、ボイスのユーラシアについてのアイデアは、再検討に値するのだろうか? おそらくはそうなのだろう。彼の神話のストーリーは限定的であるだけでなく、具現化された日常的現実から切り離されているため、私たちは今日、その神話的な定式化を拒否するだけでなくすべてひっくるめて無視し、彼の遺産であるその物質性を、中央アジアの社会彫刻のための、実在し、いまだに夢見られている可能性のために使用する機会を与えられている。
彼と同時代の20世紀の西洋人には典型的だが、ボイスのユーラシアに対する考えや、ボイスが考案した、ユーラシアに由来するシャーマニズムや遊牧生活についての、歴史を考慮しない実践は、研究された事実に基づく実践、重要とされる実践者との系統的な関係、あるいは、アマチュアが生成的であるとみなした地域に滞在して生まれた観察にすら、基づいていない。また彼と同時代の多くの作家と同様、彼の全作品を通じて、疑似科学的理論やもっともらしいニューエイジの精神性への偏愛が見られる。それでもなお、ボイスは退屈なギャラリーに展示される可能性を物理的に否定するために、美術作品を戦略的にスケールアップするという革新的な手法や、フェルトや脂肪といった美術館で物理的に保管できない素材の使用は、今も存続し、今日の芸術活動に影響を与えている。つまり封じ込められ、静的に保管されるのではなく、経験され、生きられ、最良の場合には社会、生態系レベルで増幅されるボイスの「芸術」は、称賛すべき永続的な遺産なのである。
このヨーゼフ・ボイスの誤謬こそが、私たちが出発すべき場所である。ボイスがクリミア・タタール人に出会い、救出されたという神話的逸話は、今回のドミニク・チェンと私の思いがけないコラボレーションにおいて、概念的対照をなしている。ヨーゼフ・ボイスの思想的命題である「ユーラシア」を再検討するというドミニクの意図は、ボイスが会ったこともないであろうクリミア・タタール人とともにウクライナで実現したのではない。むしろリストサーブ(メーリングリスト・サービス)と、連絡先のまたその先の連絡先まで回覧された、プロジェクトへの参加を呼びかける内容のメールが目に留まり、転送されたことによって実現した。つまり、カザフスタンのゲーテ・インスティテュートの意欲的な職員がスレッドの1つを拾い、私に個人的に連絡してきたのだ。私たち二人がユーラシア・プログラムの共同代表として出会うことになったのは、偶然の仕業かもしれないし、もしかすると、似通った料理への好みを共有していること、互いに全く異なる専門分野の知識を持っているという第3次的な作用―それはそれで不思議な生産的スリルを生み出したのだが―かもしれない。今後ドミニクと私は、刺激的な誤解、生成的な混乱、祝福された無知から、意図的に旅立つだろう。ドイツの文化機関がスポンサーで、グローバルな観客を持つ、日韓アーティスト・研究者によるこの学際的な試みは、盗用、拡散という二元論的分類に挑戦し、ボイスの遺産を活用するという意味で絶好の機会となる。さらに、人々、具体的にはいわゆるユーラシア、中央アジア、東アジアの人々についての神話、幻想、誤謬を超えた、意味ある相互主観性と実践を増幅させるための試みとしても、絶好の機会となるだろう。
ドミニク・チェンは、ユーラシア人とともに、ユーラシア人によるボイスのユーラシア性を再登録しようと奮闘する、非常に親切で好奇心旺盛な人であり、同時にユーラシアと呼ばれるあらゆる神話的な地図上の場所をはるかに超える大陸を横断、経由して、人々のネットワークを構築、再構築することに尽力する研究者でもある。ボイスについては、すでに多くのことが書かれ、語られ、撮影され、あるいは記録されてきた。ボイスは、私たちユーラシア人にとって一般的なフェルトや脂肪といった素材を、ハイコンセプトのギャラリーでの挑発に用いる、フェティッシュな素材に変えた。私にとって(そしておそらくボイス自身にとっても、彼のアート界における急進的な立場が、彼の業績をノーマル化、殺菌化しようと生産される材料の山の中で見失われないようにするには)、ボイスの作品は、イギリスのテート・ギャラリーのコレクションの中で分解しつつある、蛾に蝕まれたフェルトスーツの作品に最もよく集約されている。https://www.youtube.com/watch?v=wCOOHzENIfY]。日常品であり、多くの場合何世代にも渡り、作り手の人生よりもはるかに長く使用される中央アジアのフェルト製品とは異なり、工夫や文化的に継続的な生産体制が欠けているために不安定であるボイスのスーツは、崩壊していく。しかし特定の歴史上の、特定の点としてのボイスには注意を払うことが可能であり、またそうすべきである。神秘的な呪文が言うように、一息つき、周囲を見回し、私たちが今日どこに立っているのか見極めながら。
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