ディア・トーマス 東西ドイツの狭間で

旧東ドイツ芸術界の異端児トーマス・ブラッシュ(1945-2001年)の伝記映画。

第二次世界大戦中にイギリスに亡命していたユダヤ人のブラッシュ一家は、文化副大臣を務めた父ホルストをはじめ、ドイツ民主共和国(旧東ドイツ)の建国に貢献した。作家志望の息子のトーマスは、1968年、プラハの春に賛同、ソ連の軍事介入に反対し抗議運動にかかわり、その活動により逮捕、投獄される。保護観察処分付きで仮釈放されたブラッシュは、工場で働きながら愛や革命、死をテーマに執筆活動をする。。しかし、東ドイツでの作品の出版が禁じられ、1976年亡命した西ドイツで成功するも、西側にも溶け込めない。分断ドイツのイデオロギーと価値感に、芸術を通じて挑み続け、人生を通して居場所を求め続けた作家、映画監督、演出家、脚本家トーマス・ブラッシュ。反抗心と矛盾を抱えた天才的芸術家の物語。

上映日程:4月21日(金)10時20分/4月22日(土)15時50分

監督:アンドレアス・クライナート 
ドイツ、2021年、157分

出演:アルブレヒト・シュッフ、イェラ・ハーゼ、イェルク・シュットアウフ、アンヤ・シュナイダー、他

受賞

2021年タリン・ブラックナイト映画祭グランプリ受賞、ドイツ映画賞2022年にて9部門で受賞


トーマス・ブラシュ - 背景情報

トーマス・ブラッシュは、ドイツの作家、劇作家、詩人、脚本家、映画監督である。1970年代から1980年代前半にかけて、その文章力ばかりでなく、ドイツ民主共和国(旧東ドイツ)とドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)の両方に対する反抗的な姿勢のために、広く注目を浴びることとなった。また父親のホルスト・ブラッシュが東ドイツの党幹部であったのに対し、トーマスの兄弟、ペーターとマリオンはどちらも作家として、クラウスは俳優として、いずれも文化的な活動をしており、ブラッシュ家はドイツでは一定の知名度を誇っていた。

トーマス・ブラッシュは、ナチスの迫害から逃れて亡命したユダヤ人の両親の長男として、1945年にイギリスで生まれた。1946年、一家は東ベルリンに移り住む。そこは当初、ソ連占領下にあったが、後にドイツ民主共和国(東ドイツ)の一部となった。父親はドイツ社会主義統一党(SED)で政治的キャリアを積み、文化副大臣まで上り詰めた人物である。

1960年代後半、トーマス・ブラッシュはライプツィヒ大学でジャーナリズムを、ポツダンムのバーベルスベルク映画大学でドラマトゥルギーを学ぶが、「政府高官を誹謗した」という理由で、どちらからも退学させられる。その挑発的な言動で知られたブラッシュだが、公平な社会を標榜する社会主義の公約を信じようとしたものの、実際には繰り返し東ドイツの現実に直面することになる。

ブラッシュにまつわるストーリーは、東ドイツのエリート層における世代間の対立を象徴的に語っている。1968年、ワルシャワ条約機構軍による「プラハの春」の弾圧に抗議して、ブラッシュはビラを配った。父親はそのために彼を国家保安局に告発し、ブラッシュは2ヵ月以上刑務所に収監され、仮釈放された後は、変圧器工場で2年間、フライス工として働かされることになる。

1971年、有名なベルリナー・アンサンブルの芸術監督ヘレーネ・ヴァイゲルの紹介で、ブレヒト・アーカイヴでの職を得る。この時期にブラッシュが書いた詩は東ドイツでは出版されず、演劇作品は最初から上演されないか、されても短期間で中止された。1976年、シンガーソングライターのヴォルフ・ビアマンが東ドイツの著名な文化人や知識人とともに追放されたことに抗議し、公開書簡に署名する。その直後、それまでは却下され続けていた出国申請が認められ、東ドイツに帰国する権利を捨てて、祖国を去らなければならなくなった。

パートナーのカタリーナ・タールバッハとともに西ベルリンに居を構えると、1977年、有名な散文集『Vor den Vätern sterben die Söhne』が西ドイツで出版されることになった。瞬く間にスターになると、戯曲や詩集が続いて出版され、1981年には、『Engel aus Eisen』で映画監督としてデビューし、成功を収める。
しかし、トーマス・ブラッシュは西側でも摩擦を起こす。この作品でバイエルン映画賞を受賞したものの、授賞式でバイエルン州首相フランツ・ヨーゼフ・シュトラウスの前で、自分が教育を受けた「東ドイツの映画大学」に感謝して、騒動を巻き起こした。『Engel aus Eisen』は、ブラッシュの3本の長編映画のうち、最初に制作した映画だが、『Mercedes』のほうは、自身の戯曲をテレビ映画化したものである。

しかし、ブラッシュのキャリアは1980年代にはすでにピークを過ぎていた。出版は不定期で、彼は徐々に表舞台から遠ざかっていく。シェイクスピアやチェーホフの戯曲を翻訳して生計を立てたが、その翻訳は現在も上演されている。2001年、長年のアルコールと薬物の摂取が原因と思われる心不全で56歳の若さで死去した。

アンドレアス・クライナート監督の映画『ディア・トーマス』は、分断されたドイツの二つの国家体制に反発し続け、東にも西にも居場所を見いだせないまま、早世した類まれな芸術家トーマス・ブラッシュを再発見する作品である。