ドラマトゥルク、翻訳者
林立騎
ドイツの公立劇場のドラマトゥルクとは

林立騎
© Hannah Aders

林立騎(ドラマトゥルク、翻訳者)インタビュー
インタビュアー 山口真樹子(ゲーテ・インスティトゥート東京)

フランクフルト・ムーゾントゥルム劇場

山口 今回林さんにお話を伺えることをとても嬉しく思います。林さんの学生時代にお目にかかった際、人並外れたドイツ語能力に驚愕し注目していました。高山明さんがエルフリーデ・イェリネクの戯曲『雲。家。(Wolken.Heim.)』を演出した際、ゲーテ・インスティトゥートの戯曲翻訳助成を使っていただき林さんが翻訳しました。2007年には、林さんをベルリン演劇祭の「若手演劇人のための国際フォーラム」に送り出しました。その後フェスティバル/トーキョーで、イェリネクが東日本大震災を機に発表した戯曲作品『光のない。』が上演された際、翻訳者として関わっています。現在はフランクフルトのムーゾントゥルム劇場にてプログラム・チームの一員として勤務しておられます。

Künstlerhaus Mousonturm
Künstlerhaus Mousonturm | 撮影 Jörg Baumann
同劇場はドイツの劇場制度の典型、つまり俳優やドラマトゥルク、大道具、衣装、各種工房その他全スタッフを雇用しレパートリーシステムで運営されるシュタットテアター(公立劇場)ではありません。外部のアーティストと作品を創作し発表するいわゆるプロダクションハウスの一つです。ムーゾントゥルムの革新的なプログラミングは高く評価されており、日本や東南アジアのアーティストや作品の招へい、新作委嘱、また欧州の主要なフェスティバルや劇場と共同製作も行っています。その中で仕事をしている林さんに、ドイツの劇場の現場での体験や、今後の計画についてぜひお尋ねしたく、よろしくお願いいたします。

まず、2019年春から一年間の文化庁在外研修生としての研修先をムーゾントゥルム劇場にした理由を教えてください。

林 2013年にマティアス・ペースがムーゾントゥルム劇場のインテンダント(劇場長)に就任し、高山さんを招くということで、高山さんのユニットPort B(ポルト・ビー)のプロジェクトチームの一員として2014年の夏に『完全避難マニュアル・フランクフルト版(EVAKUIEREN)』という大規模な作品を作り、2017年の『マクドナルド放送大学(McDonald’s Radio University)』にも参加しました。こうしたプロジェクトを通じて、マティアスだけでなく、ムーゾントゥルムのチームや自由な雰囲気から多くのことを実践的に学んでいました。
ドイツのパフォーミングアーツ業界では、近年特にアンサンブルを持たないプロダクションハウスが社会の現状と柔軟かつ積極的に関わりながら存在感を増していることも実感しました。ドイツでは、2016-17 年から、デュッセルドルフの FFT と tanzhaus nrw、ベルリンのHAU、ドレスデンのHELLERAU、ハンブルクのKampnagel、エッセンのPACT Zollverein とムーゾントゥルムの 7 劇場が共同で「インターナショナル・プロダクションハウス・アライアンス(Bündnis internationaler Produktionshäuser)」を組織しています。そのうちの一つであり、私自身がつながりをもっていたムーゾントゥルムで本格的に働きたいと思い、研修をお願いしましたが、実際には最初から職員として本格的に働かせてもらいました。

EVAKUIEREN
EVAKUIEREN | © Masahiro Hasunuma
McDonald’s Radio University
McDonald’s Radio University | 撮影 Jörg Baumann
ドラマトゥルクという職業

山口 何を学びたいと考えましたか?

林 二つあります。一つは、ドイツ語圏の演劇シーンに独特なものであるドラマトゥルクの仕事とはどういうものか。もう一つは、公立劇場というインスティテューション(公共機関)で働くとはどういうことか。両方を実践的に学びたいと考えました。
日本では、劇場自身がメッセージを発信し、劇場の特色を強く打ち出すことが必ずしも多くありません。一つの劇場が演劇、クラシック音楽、ポップスのコンサートなど様々な表現を扱うことが一般的で、地域との結びつきや劇場のミッションも必ずしもはっきりしません。それに対してドイツのプロダクションハウスは、それぞれが芸術の実践を通じた社会との関わり方を明確に示しています。劇場がアーティストの作品やプロジェクトを通じて何をどのように発信し、いかに社会に対して批評的な役割を担うことができるか、そしてその際にドラマトゥルクという職業がどう関わるのかを学びたいと思いました。

山口 ドラマトゥルクには作品のドラマトゥルクと、劇場やフェスティバルのドラマトゥルクの二つの役割がありますね。

林 日本でもドラマトゥルク導入論が20年近く前からありました。日本の議論で最も見過ごされていた基本的な事実は、ドイツ語圏の劇場ではドラマトゥルギーとプロダクションという部署が両方あるということです。日本では制作者が両方を兼ねて演劇を支えていますが、議論すべきだったのは、日本でも劇場の中にドラマトゥルギーとプロダクションの両方の部署をつくることができるのか、そしてそれが可能だとしたらどのように役割を分担するのか、専門性の分担の点でもドイツ語圏の劇場を参考にできるのか、ということでした。作品をつくるアーティストに創作上のパートナーとしてのドラマトゥルクが必要だという話だけでなく、劇場やフェスティバルの組織構成と日々の業務の問題であるという論点は日本では表面化していなかったと思います。
ムーゾントゥルムでは、ドラマトゥルギー部門は英語でProgramme Department といい、プログラミングをする部署として位置づけられています。個人的にはドラマトゥルクとはプロセスを作る役割だと思います。それには二つの意味があり、一つは作品自体のプロセスです。創作に関わり、アーティストにフィードバックを行い、作品がどういう流れになっていて、観客に何が伝わるかという作品体験のプロセスをアーティストとともに作る。もう一つは、作品の外のプロセス、劇場が何をミッションとし、個別の実践を通じてそれをどのように果たしていくのか、どのようなプログラムを組んで社会の流れにどう向き合うのか、そのためにどのような助成金やコンペに応募し、獲得することができるのか。これらを考えることがインテンダントとドラマトゥルクのもう一つの役割だと思います。

山口 ミュンヘン・カンマーシュピーレで岡田利規さんのプロダクションに参加して、ドラマトゥルクの役割が劇場の中でも、外に対しても、コミュニケーションを担う中枢であることがよくわかりました。

林 コミュニケーションと交渉ですよね。劇場内でも、それぞれの部署には独立性と専門性があり、常にオープンに議論をしています。また、観客とのコミュニケーション、フランクフルトという都市やその歴史との関係の構築、芸術の歴史の参照など、劇場とドラマトゥルクはつねにさまざまなプロセスの流れの中にいます。

山口 林さんはドイツ語が非常に堪能ですが、一方ムーゾントゥルムにとっては外から来ていずれ去る人です。コミュニケーションという点について、毎日どんな感じですか?

林 今回働き始めるまでは、ドイツに来るのは高山明さんのプロジェクトのためで、日常ではありませんでした。今私はチームの一員で、圧倒的に白人ばかりのチームの中でアジア人で、一人だけドイツ語にも不自由していますが、お客さん扱いはされず、常に対等に議論できることにはとても感謝しています。もっとドイツ語を勉強しておけばよかったと後悔することも多いですが、大切なのは、まるで母語のように、他の人と同じように流暢にドイツ語を話すことではなく、自分からしか出てこない言葉があるかどうかだと感じています。それが自分自身の主権を失わずに生きていくということだと考えています。

インスティテューション(公共機関)として劇場が為すべきこと

山口 最初に担当したプロジェクトがとても興味深くスリリングだったとききました。

林 『右翼の空間』という建築家たちのプロジェクトでした。彼らは、右派の政治家たちが過去から現在に至るまでどのように建築を政治的に利用してきたかを広くヨーロッパで調査し、その成果にもとづくツアーや言論イベントを行っています。ナチスが建築を政治的に利用したことはよく知られていますが、現在は右派の政治家やアクティヴィストたちが、古き良きドイツを取り戻すという考え方のもと、建造物や都市景観のリノベーションやリコンストラクションに積極的に関わっています。
このプロジェクトのフランクフルト版は2019 年9月に新シーズンのオープニング・フェスティバルの枠内で実施しました。”Unfuck My Future - How to Live Together in Europe“ というヨーロッパの未来をテーマにしたフェスティバルでした。都市の中をバスと徒歩でツアーし、実際の建築と政治の関係の歴史と現在をその場でレクチャーしてもらったり、フランクフルトの旧市街のリノベーションの経緯を聞いたりしました。右翼の政治家や活動家に批判的なプロジェクトで、そういう人々からの攻撃や批判が予想される作品でした。それをドイツに住み始めたばかりの外国人である私が担当できて嬉しかったです。私自身、このプロジェクトから多くを学びました。

Rechte Räume
Rechte Räume | 撮影 Jörg Baumann
山口 一人で担当したのですか。

林 ここでもやはり、ドラマトゥルギーから一人、プロダクションから一人、となります。常に劇場の内部で複数の視点を確保し、内容と予算と実現可能性をスタッフ同士で話し合えるようになっています。公共空間でプロジェクトを展開した経験のある非常に優秀な同僚がついてくれました。ツアーのバスの手配や、道路や建物の使用許可の申請などは彼が引き受けてくれて、内容に関しては私が担当するという形でした。

山口 プラクティカルですよね。問題が起きそうになればその場で相談できますし。

林 一人で抱え込まなくてよいし、話し合いもできます。内部での透明性や公開性も確保されます。また、内容については他のドラマトゥルクやインテンダントとの会議でも報告し、フィードバックを受けていました。このプロジェクトは、それまで実施された都市ではツアーをするだけでしたが、フランクフルトでは最終日である2日目のツアー終了後にシンポジウムをすることになりました。最初に11時から 15時まで4時間のバスツアー、その後1時間休憩して、さらに16時から 20時まで4時間のシンポジウムというものです。

Rechte Räume
Rechte Räume | 撮影 Jörg Baumann
山口 1時間程度のポストトークではなく、やる以上は徹底的に、ということですね。

林 このプロジェクトの経緯や、フランクフルトだけでなくドイツの他の都市、さらにヨーロッパ各国の現状について、ツアーで話さない専門家も招き、多くのことを知ることができました。観客との質疑応答も最後に行うことになりました。その場合、右翼の人々が話し始めて収拾がつかなくなる懸念もありましたが、話し合いの結果、ディスカッションをきっちりやるということにしました。
案の定、初日を迎える前から右翼の活動家からいくつかの動きがありましたが、安全が確保できないかもしれないから、あるいは政治的に中立でなければいけないから中止する、という話には一切なりませんでした。劇場の顧問弁護士と相談し、何が起きたらどういう措置をとることができるのかを事前に話し合いました。その後、手配していた民間のセキュリティ会社とも対応を確認しました。その上で予定通り開催しました。

山口 当日は民間セキュリティ会社の人も立ち会ったのですか。

林 それ自体は珍しいことではなく、音楽イベント等でもセキュリティを手配することはあります。警察には相談しません。その理由については、私自身がきちんと確認したわけではないのですが、警察は公権力です。警察が入ると劇場の自治は侵害されます。また、警察に依存するようになれば、芸術が社会や政治に対して批評的な実践を行う余地は明らかにせばまるでしょう。
ムーゾントゥルム自体がフランクフルト市の公立劇場に近い形態なのですが、公立劇場でありながらも政治や公権力を批判できるように、どこにどのような線を引いておかなければならないかという意識を、インテンダントをはじめスタッフが共有していることが印象的でした。劇場によって対応は違うかもしれませんが、観客とスタッフの安全はもちろん確保しつつ、どうすれば全く異なる考え方の人同士が出会い、互いを目の前にして、自由に考え、発言し、議論できるのかということが最も重視されていたと思います。そうした環境を準備することができるのが公立劇場の一つの意義であると感じました。
当日はシンポジウムの開始前から小さな騒動があり、質疑応答の時間は非常に異なる立場の人たちが発言して、観客席と壇上の関係だけでなく、観客同士で激しく議論するかたちになりました。最終的には、インテンダントのマティアスも私も含め、客席にいた劇場側の人間は一切発言せず、壇上のプロジェクトチームと観客に議論を委ねることができました。

山口 劇場側としては発言しないという申し合わせがあったのですか?

林 そういう段取りも打ち合わせもありませんでした。それも個人の自由ということです。私がどうしても発言したいと思って発言していたら、誰も止めなかったでしょう。劇場で働いているからといって、強制的に発言させることもできないし、強制的に発言を止めることもできません。黙っていようという話もしていません。ただ、みんながそれぞれ個人として、観客席の中で議論が行われる方がよいと考えていたのだと思います。

山口 観客の中で自然に議論がおきることが重要だ、というコンセンサスがもともとあった、ということですね。

林 言葉にはしていませんでしたが、その根本は共有していたと思います。それがそもそもシンポジウムの開催を決め、質疑応答の時間を設定した理由でしたから。シンポジウム終了後、右翼の活動家の人々とプロジェクトのリーダーが一応挨拶をしたり握手をしたり、名刺を交換したりしていました。そのあと何がどうなったかはわかりません。ののしり合いはありましたが暴力は起きず、セキュリティの介入もありませんでした。
最初に担当したこのプロジェクトから学んだことはすごく大きかったです。今、劇場の外では異なる意見同士のコミュニケーションが起きづらい状況ですよね。SNSに顕著ですが、どうしても同じ意見の人たちが固まり、別の意見を一方的に攻撃・断罪することが多く、異なる意見を持つ人たちが同じ場所に集まって、互いに意見を聞き合うという出会いが起きづらい。そういうコミュニケーションが起きる場所を作るためにはそれなりの準備が必要で、時間とお金もかかります。だからこそ、公立劇場のようなインスティテューションがやるべきです。個人ではリスクも大きいし、できることは限られている。公立劇場はそのための枠組を準備するリソースと時間を持っています。このようにインスティテューションの一つの役割あるいは可能性をあらためて認識することができました。

新型コロナウィルスのパンデミックの中で課された制限に対する創造的な応答

山口 2020年は新型コロナウィルスの感染拡大で劇場の閉鎖となりました。

林 3月にすべての劇場が閉鎖し、出勤もできなくなりました。上演演目はキャンセルもしくは延期し、私たちの仕事の仕方も変わりました。そうした対応をしつつ、劇場が閉鎖してもできることは何か、デジタルプラットフォームでどのアーティストとどのような作品を作ることができるか、音楽かパフォーマンスかディスカッションか、その状況下での可能性をみなで話し合いました。
個人的には、それまでは家では日本語を聞いたり話したりして、家を出るとドイツ語になり、家の外に仕事も演劇もある生活だったのが、ドイツ語で仕事をするのも作品を見るのも家になり、子どもの学校も閉鎖されたので一緒に勉強をしたりして、公私や言語が新しい混じり合い方をして、最初は本当につらかった記憶があります。

山口 ON-PAM(舞台芸術制作者オープンネットワーク)のオンラインミーティングで、林さんは、パンデミック下で適用される規則に対して、遵守はするが、発想の転換のチャンスととらえて、交渉するとおっしゃっていました。

林 あのシンポジウムは2020年6月でしたね。今あらためて思うのですが、ムーゾントゥルムの職員はみな、どんなことでも他人に任せてはいけない、委ねてはいけない、自分で考え、判断しなければならないということを根本に持っています。ルールだから従うとか、閉めろと言われたからただ閉めるのではない。もちろん規則を守って劇場は閉めますが、それだけで終わらず、その状況にクリエイティブに応答しようとします。今だからこそできる新しいことや面白いことは何か、それを考えるエネルギーやパワーを決して放棄せず、譲り渡さない。コロナが始まったときも、みながアーティストとコミュニケーションを取りながらいろいろな新しいフォーマットを考えていました。
一番象徴的だったのが、劇場内にコロナ対策を施したもう一つの劇場を作ったことです。ラウムラボアベルリンとバーバラ・エーネスに依頼したもので、ただ単にBAU(建物)と呼ばれています。劇場内劇場です。90年代に舞台美術家のベルト・ノイマンが、New Globeという劇場内劇場を作ったことをマティアスが思い出したのがきっかけでした。客席はすべて2人用の個室になっています。19の個室があって、38人入れます。個室の中ではマスクを外すことができます。飲み物も食べ物もお酒も、劇場のカフェレストランのスタッフが注文を聞きに来て、持ってきてくれます。2021年夏にはさらにSOMMERBAUという野外劇場をオープンしました。

BAU
BAU | © Christian Schuller
BAU
BAU | © Christian Schuller
山口 規則が申し渡されても、従う以上は、そこから新しいことをやる、という気概がありますね。

林 アーティストは、この社会に欠けているものを作りだす存在だと思います。私たちのような劇場も、社会からルールが与えられたときに、それに従うだけでなく、異なる見方や、クリエイティブにそれに反応できるかが問われます。アーティストや作品だけにその役割を任せるのではなく、誰もが常に社会の仕組みと創造的に交渉し、予想外の応答をできたらいいと思います。

SOMMERBAU
SOMMERBAU | 撮影 Jörg Baumann
SOMMERBAU
SOMMERBAU | 撮影 Jörg Baumann
声をメディアとして用いた作品

山口 屋外のプロジェクトであればコロナ禍でもできますね。

林 パンデミックになってからムーゾントゥルムのドラマトゥルクであるアンナ・ヴァークナーと一緒に担当したのが、メディア・コレクティブであるLIGNAの作品でした。アーティストが国境を越えて移動できないときに、世界中の振付家にコロナ禍の状況で思いつく振付を声で送ってもらい、それを組み合わせて、観客はヘッドフォンで音声を聴きながら、そして互いに距離を取りながら公共空間で踊る『あらゆる場所に拡散を!(Zerstreuung überall!)』という作品で、彼らが以前から続けている「ラジオ・バレエ」というプロジェクトの一つでした。一つ一つの振付がその国やその土地のコロナの状況と多かれ少なかれ結びついているように思われて、ドイツよりもっと状況が深刻なブラジル、イギリス、イスラエルや、他にもフィリピンや韓国などのアーティストの振付をフランクフルトで踊りました。ニュースで聞くのとはまた別の方法で、自分の身体を使って、それぞれの国のコロナの状況を想像することができる。日本からはcontact Gonzoの塚原悠也さんも参加してくれました。

Zerstreuung überall!
Zerstreuung überall! | © Dajana Lothert
Zerstreuung überall!
Zerstreuung überall! | © Dajana Lothert
山口 映像ではなく、声というメディアを使ったところがいいですね。

林 良い作品でした。この作品はチューリヒ、バーゼル、ベルリンでも上演されています。日本は、感染拡大後は舞台の映像配信や映像作品制作が多かったようですね。LIGNAは、会うことのできない遠くにいる人たちの声を聴くことというコンセプトを、メディアの利用を通じて、コレクティブなダンス/パフォーマンスの形式にしました。既存の形式を使うのではなく、聴こえない声を聴くための新しい形式を提示した点が重要でした。
声を用いたもう一つのプロジェクトは、ドイツの詩人フリードリヒ・ヘルダーリンの生誕250年記念という枠組で作られた『ヘルダーリン・ヘテロトピア(Hölderlin Heterotopia)』です。これは高山明さんの作品で、インテンダントのマティアス・ペース、ドラマトゥルクのマルクス・ドロスとともに、ドラマトゥルク3人体制で関わりました。フランクフルトと隣接するバート・ホンブルクにはヘルダーリンが恋人に会うために歩いた「ヘルダーリンの道」が22キロにわたってあり、それを歩きながら世界中の作家たちのテクストを聴くことのできるスマートフォン・アプリを作りました。
コロナ前から予定されていたプロジェクトですが、アプリの利用者は一人で歩き、途中で目の前の風景を見ながら音声を聴くことができるので、コロナの状況に関わらず続けられる作品ができました。エルフリーデ・イェリネク、アレクサンダー・クルーゲ、デニズ・ウトルゥ、ヘレーネ・ヘーゲマンといった素晴らしい作家たちが参加してくれました。日本からも管啓次郎さんが歩くことをテーマにした新作の短編を書いてくれました。作家のテクストは俳優に朗読してもらい、それとは別の場所で聴くことのできるヘルダーリンの詩の朗読は、数年前にフランクフルトに来た元難民の方たちに朗読してもらいました。シリア、アフガニスタン、エリトリア、イラン出身の人たちです。

Hölderlin Heterotopia
Hölderlin Heterotopia | 撮影 Jörg Baumann
ドラマトゥルクが担うコミュニケーション

山口 コミュニケーターであるドラマトゥルクとして、一番心掛けていることは何ですか。

林 ドラマトゥルクという仕事のおかげでいろいろな人とコミュニケーションをしてきました。作家や建築家もそうですが、2019年12月には高山さんのヒッポホップのプロジェクト『ワーグナープロジェクト(WAGNER PROJECT)』があり、フランクフルトや隣町のオッフェンバッハの数百人のラッパーの人たちと話をして、一緒に働きました。『マクドナルド放送大学』はフランクフルトに辿り着いた難民の方たちと作りました。観客のみなさんとのコミュニケーションももちろんとても大切です。
どんな人に対しても、そのプロジェクトの意義や意味を聞かれたときに通用する言葉をつねに発見あるいは発明しておきたいと思っています。その前提は作品とアーティストに対する100%の敬意です。新しいことを考えて実現させるということはすごいことです。いつも、毎回そう思います。自分にはとてもできません。それに対する100%のリスペクトがまずあります。同時に、自分にとってそのプロジェクトがなぜ重要なのか、自分が働く劇場にとって、自分がいる町にとってそのプロジェクトがなぜ重要なのか。アーティストを代弁するのではなく、アーティストはこういう作品をこういう考えで作ろうとしている、自分はこういう理由でこの作品が素晴らしいと思う、うちの劇場はこういう劇場だからこの作品を上演する、という複数の立場を言語化し、自分を失わないことが大事なのではないかと思います。

WAGNER PROJECT
WAGNER PROJECT | © Jeannette Petri
山口 そうですね!

林 自分の意見だけでもだめで、インスティテューションで働いている以上はそのミッションやカラーがあり、そのことも大事だと思います。インスティテューションがやろうとしていること、アーティストがやろうとしていること、その間で自分が個人として考えることが、どれもクリアにつかめていれば、必ず観客にもアーティストにも伝わると信じています。

山口 そのことを可能にさせている何かがあるはずです。それを身をもって体験し、実現させている林さんの経験はとても貴重です。

林 ドイツにいると、日常的に交わされている言葉の量が日本よりも圧倒的に多いことを感じます。それには長所も短所もあると思いますが、開かれた公開の場で個人として発言し、言葉を交わすことがコミュニケーションの基礎になっていますね。言葉を交わせば解決策が見出されるという信念が背後にあると感じる場面が多くあります。異なる社会にはまた異なるコミュニケーションがあり、ドイツの仕方が唯一の正解ではないと思いますが、特に芸術という個人の表現を社会的に共有する実践を仕事にしている私としては日々学ぶことが多くあります。
振り返ると、私はゲーテ・インスティトゥートの翻訳支援もいただきましたし、ベルリン演劇祭の国際フォーラムにも送り出してもらいました。新型コロナウィルスの感染拡大で、ドイツに行こうとか、外国で勉強しようという人も少なくなるかもしれません。でもやはりその場に飛び込まないとわからないことはたくさんあります。人々がその土地で生きている前提のようなものは、日々接することでようやく少しずつわかってくるように思います。特に日本に関しては、外国や、全く異なる場所、状況で働きたいという人がもっと増えてくるといいと思います。
私は山口さんにどんどん後押ししてもらって、今があります。それでも一応かたちになるまで10年くらいかかりますよね。最初にお会いして、支援していただいて、かれこれ15年です(笑)。すぐに見える成果が出るものではないですよね。だからこそ、支援する人や外に飛び出す人が一人でも増えていく必要があって、私も人の後押しをして、勇気づけるような立場になれたらいいなと思っています。とても大事なことですから。

山口 2つの異なる文化の間で動くことは大変だけど楽しい、と思うこともあります。言葉を尽くす、というところがドイツの場合はあるのではと思います。

林 本当にそうですね。前提から話し始めて、複数の意見を検証してからようやく自分の言いたいことを言うような印象を日々持っています。人の意見をいきなり否定せず、話をつなぐようにして、本当は否定だったり批判だったりしても、別の言葉にしていくような、言葉の量と使い方が全然違う社会だと常々感じます。移民や難民をはじめ、いろいろな立場の人がいる国なので、前提を確認していく必要があります。ただ、言葉が苦手な人や、自分からなかなか声を上げられない人にとっては結構きつい社会なのかなと思います。
日本は逆に、多くの前提がすでに共有されているということになっていて(それも実際は疑問ですが)、もはや考えられていないこと、言葉にされていないことが増えているのではないでしょうか。公立劇場とは何か、なぜ芸術に税金を使うのか、民主主義とは何か、といったことです。社会の基盤を作っている問いが日々繰り返し根底から論じられないので、「今・ここ」の表面だけで議論していると、結局は立場が強い者の言い分が通り、弱い者が抑え込まれるかたちになる。
ともに社会を作って生きる私たちが最低限考えておくべき問いを常に確認し直すことをしないため、基礎がないがしろになり、乱暴な言葉遣いや一方的な行動が、政治家にも、市民の間でも広がってしまう。コミュニケーションの基盤が崩れているように感じます。劇場や文化のインスティテューションは、その再構築に関わる必要があるのではないでしょうか。

沖縄での新しい取り組み

山口 帰国後は沖縄に戻られるそうですね。

林 2021年の年末に帰国してまた沖縄で働く予定です。東京に15年いて、それから那覇に移り、それからフランクフルトに来ました。沖縄で何ができるか、どのようなことをすべきか、沖縄の文脈の中であらためて考えたいと思っています。どのような作品がよい作品か、いかなる実践が重要かは、ある程度は普遍化できるかもしれませんが、それぞれの土地の歴史や現状によって異なると考えています。もう一つは、今回のドイツでの仕事を通じて、ヨーロッパというまとまりで政治や経済や芸術が動いている部分があることをあらためて実感しました。沖縄ではアジアやアジア太平洋という視点からできることがあるかもしれません。

今後のコミュニケーションと新しい出会い

山口 今後のコミュニケーションや異なるものとの出会いについては、どう考えていますか。

林 コロナ以前から人の移動による環境への負荷は議論されていました。全体として大規模な移動が制限されることにはポジティブな側面もあると思いますが、留学や研修や視察など、人が新しいものを知り、個人と個人が出会うための移動まで放棄することはないと思います。わたし自身、コロナの発生が一年早ければ、今回の移住やドイツでの仕事を諦めていたかもしれませんが、今思えばぎりぎりのタイミングで移住し、ドイツの演劇シーンやコロナに対する政治と芸術の応答を内側から見ることができて本当によかったと思います。
また、最近感じるのは、現地に行けない分、情報の交流がより一層重要になってきていることです。インターネット上の情報がフェイクニュースや陰謀論を通じた過激な行動につながる危険性が指摘されています。だからこそ民主主義、平等、多様性、寛容といった価値観に基づく情報の流通がより必要になっています。例えばゲーテ・インスティトゥート東京は早くから新型コロナウィルス感染対策や文化政策に関するオンラインのディスカッションなどを手がけて、注目を集めました。専門知識や外国語能力を有する研究者の役割も、その分野のプロフェッショナルであることに加えて、その専門性を通じて社会参加することが重要になってきていると思います。演劇や人文学の分野でも、翻訳されていない重要な書籍や、まだ紹介されていない新しい実践がたくさんあります。現地に行って見ることができないからこそ、専門家やインスティテューションによる紹介、そしてそれを通じて対話し、議論を深めていくことについては、新しい可能性が出てきているのではないでしょうか。また、私自身、翻訳者としての活動をこれからもフリーランスで続けていくつもりですが、公立劇場やゲーテのようなインスティテューションの職員が、勤務外の時間を活用して個人としては翻訳書の出版をするようなことも、もっと増えていいのではないかと思います。
ドイツでは、反差別運動や環境保護活動、極右の台頭の問題やバリアフリーのことなど、今の社会の状況に対して演劇や芸術が密接に関わっています。コロナ禍で社会の状況はさらに変動しており、コロナ以前の価値観に戻ることはないでしょう。現在ヨーロッパは新しい価値観を練り上げつつあると思います。民主的で、グリーンで、デジタルで、レジリエントで、というような価値観ですね。ヨーロッパは、良くも悪くもその価値観で世界に言葉と実践を広げていくでしょう。そこから何を学ぶことができるのか、そこに欠けている側面は何か、アジアや日本の芸術を通じてそことどのような関係を作っていけるのか。ヨーロッパの実践の背後にある価値観を一つの参照点としながら、互いに批評的な対話を続けていくことで学び合い、よりよい表現が生まれ、よりよい社会、そして世界が実現することへ向けて協力し合う必要があります。
アーティストは国境を越えて活動していますが、特に日本の文化芸術に関しては、政府同士やインスティテューション同士の対話はまだほとんど始まってさえいないのではないでしょうか。この点に今後の大きな課題があると考えています。

山口 ありがとうございました。

(このインタビューは2020年10月26日にオンラインで行われました。その後、加筆した部分があります)
 
林立騎

ドイツ・フランクフルト市の公立劇場キュンストラーハウス・ムーゾントゥルム企画学芸員(ドラマトゥルク)。翻訳者。翻訳書にエルフリーデ・イェリネク『光のない。』(白水社、第5回小田島雄志翻訳戯曲賞)、ハンス=ティース・レーマンおよびマティアス・ペースとの共編著に『Die Evakuierung des Theaters』(Berlin Alexander Verlag)、翻訳にハンス=ティース・レーマン「ポストドラマ演劇はいかに政治的か?」、ベルト・ノイマン「ノイズ」等。