インタビュー: ヒバ・アル=アンサーリー
「芸術を教えることはできない」
ヒバ・アル=アンサーリーは「亡命中-ゲーテ・インスティトゥート・ダマスカス@東京」1人目のレジデント・アーティスト。初めて来日してから早1ヶ月が経ち、ワークショップやアーティストトークを控えるアル=アンサーリーに話を聞いた。ドイツでの経験やシリアに思うこと、日本の印象について。
最初に、ドイツへ行くまでの経緯と、着いてからの印象を教えてください。
ダマスカスで美術アカデミーでの勉強を始めたのが2007年、卒業を前にケルン近くのドューレンという村にあるレジデンス・プログラムに参加したのが2012年の夏でした。その後、ダマスカスに帰ると、シリアはとても悪い状況にあったのです。私の両親は不安を抱えていて、ドイツに戻ってやりたいことを続けなさいと言ってくれました。シリアの状況は当時、刻一刻と変化していて、私はダマスカスの美術アカデミーにある荷物を持って再びドイツへ出発しました。まずはケルンへ行き、2015年にはミュンヘン美術院に進学しました。
ドイツでは何もかもがそれまでとは違いました。気候、人々、社会…新しい世界という感じがしました。最初は言葉を覚えるのに苦労しました。あの頃は、これほど長くドイツに留まることになるとは思っていませんでした。ただ、アカデミーでの制作は実り多いもので、人々との繋がりもたくさん得ました。
ダマスカスでは油画を専攻していましたね?以降の作品には、陶器やテキスタイルなどミクストメディアによる作品が多いですが、渡独との関係はありますか。
ダマスカスでは絵画を学びましたが、それ以前に美術学校で絵画と彫刻を学んでいました。シリア時代にも粘土や樹脂、金属を使って制作をしていました。常に色々な素材に興味を持っていて、どのような素材を使うかは、そのときのテーマによります。ある素材の扱い方によって表現したいことを伝えるのです。言葉ではうまく表現できないけれど、とても色々なことが詰まったプロセスなのです。絵を描くときもスケッチをたくさんし、色々考えながら進めていきます。
作品には、鼻や歯型、髪の毛など、身体の一部が使われています。身体の一部を作品に取り入れることはどのような意味を持つのでしょうか。
身体の一部を取り入れることは私にとってとても重要です。これは素材にも関わることで、例えば、繊細で白く、慎重に扱わなければいけない陶器を作るための材料を手にしたとき、ある意味、身体を通じて死について考えます。これは、戦争が始まってからの変化でもあります。一連の出来事と路上の人々は、私の芸術をこれまでとは別の方向に向けたという感じがしています。体を使うという意味では2017年にはじめて行ったパフォーマンスについても言えるかもしれません。パフォーマンスでは床の瓦礫やキッチンウェアをはいつくばって動かしました。このときその行為がもたらす音というのも重要な要素でした。シリアで爆撃があると、人々はみな急いでその場所に向かいます。瓦礫から人を救助するためです。爆撃後の場所で見えるのはそこで動く人々の身体です。また、動かなくなった身体です。そういったものを見ていて、身体をどのように作品に取り入れるか考えさせられました。
このような状況の下、シリア人アーティストであることで、特定のテーマを扱うことを期待されていると感じますか?
はい。しかし戦争が全てではありません。政治的なテーマももちろん扱いますが、個人的な記憶などもテーマにしています。歳を重ねるにつれて、幼少時について思い出すことも増えました。そのようなテーマを、内的なイメージや夢の記憶を元に作品に表現します。
ドイツとシリアの美術教育には違いがありますか。
あります。ドイツでは全員の学生にアトリエが用意されています。私は、ダマスカスでも、とても学生に親身な自由な教授の下で学びましたが、彼女は例外的といえるでしょう。ドイツでは週に2-3回学生と先生の間でミーティングが行われ、制作中の作品や構想について話し合います。ダマスカスではアトリエがなかったので、ドイツのアトリエで色々な素材や道具を使えたことは大きな糧でした。シリアの美術教育はよりはっきりとした規範があり、時にもどかしさに怒りを覚えたこともあります。芸術は教えることができないものです。それはもっと開かれたものだと思うのです。あまりたくさんの既成概念や手法を押し付けるとアーティストの可能性を押し殺してしまいます。ドイツのアカデミーではやりたいことを実行することができ、可能性は開かれている。とは言うものの、ダマスカスでも多くの事を学びました。
シリアを離れて長くなりますね。ドイツでシリアからのアーティストと出会いますか。シリアのアーティストやアートシーンに変化はありましたか。
シリアのアーティストはとても変わりました。わたしも含めて。新しい言語、新しい社会、何もかもが変わりました。芸術に限ったことではありません。アパート探しやアトリエ探し、生活の基盤となるものをゼロから手に入れないといけません。わたしはアトリエがないのでアパートで制作をしています。大変な面もあります。ダマスカスとの連絡はだいぶ減って来ていますが、美術アカデミーの教授とはまだ定期的に連絡を取り合っています。彼女はまだ授業をしていますが、簡単なことではありません。街は破壊されて、物価は高くなっている。これから何が起こるのか誰にもわからない状況です。
シリアを再生する時がいつかは訪れる、その時、芸術にできることは何があるでしょうか。
その時がすぐに訪れる事を願っています。そしてその時に、何かができる状態に自分があればと思います。以前シリアでは政治的な作品、政権についての作品を発表することが出来なかった。政治や政権について芸術で取り上げることが出来ることはとても重要だと思います。このような意味でアーティストの環境は開かれたものでなければならない。何について作品を作り、何を言うかについて、タブーがあってはいけないと思うのです。
芸術家ではない人にとって、芸術は何が出来るでしょうか。
ダマスカスで勉強を始める前、子どもたちや障がいを抱えた人々とよく制作をしました。人々が芸術を通じてコミュニケーションを取り合うのを見ることはとても刺激的なことです。芸術は人をリラックスさせ、人を癒します。たとえ街が戦争の只中にあっても、芸術には色々と出来ることがあります。新しいことを試してみたり、楽しんだり、芸術について、また自分自身について学ぶことがあります。制作をしたり、音楽をしたり、踊ったりすることのできる場所があれば、人生に問題がある時もやり過ごせると思うのです。少なくとも私はそうです。
最後に、日本の印象を教えてください。
日本は何もかも控えめで繊細なように思います。花なども。特に好きなのは日本の空です。シリアとも、私がこれまでに見たどの空とも違います。色も形も。自然も違っていて、とても面白いと感じます。人々の仕草、街の灯りなど、何もかもが新鮮です。光や色、様々なものに細部に至るこだわりがある。日本はドイツともシリアとも全く違うと感じています。