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遠藤麻衣
「アイ・アム・ノット・フェミニスト!」

アイ・アム・ノット・フェミニスト! - ゲーテ・インスティトゥート東京東京の屋上での結婚式
ゲーテ・インスティトゥート(東京ドイツ文化センター)屋上での結婚式。フェスティバル/トーキョー17の30分間のパフォーマンス「アイ・アム・ノット・フェミニスト」で遠藤麻衣とパートナーのアーティスト村山悟郎は、友人や一般の観客の前、婚姻契約を交わした。 | ©遠藤麻衣

日本は、既婚者がフェミニストでいることが難しい国です。婚姻届を出せばその先には様々な男女の不平等が待ち受けているからです。夫婦同姓・貞操義務・再婚禁止etc...。婚姻を選択する理由は人それぞれだと思いますが、婚姻と不平等の間でモヤモヤを抱える人は多いのではないでしょうか。

こんにちは、遠藤麻衣です。俳優・美術家として活動しています。私は婚姻を選択した一人です。そして自分へのアイロニーとして「アイ・アム・ノット・フェミニスト!」というタイトルのもと、ゲーテ・インスティトゥートにて結婚式を行いました。これはフェスティバル/トー キョー17のプログラムの一つでもあります。式は、親族や友人、一般の観客とが混在した状態で行われ、人々の前で自作の婚姻契約履行の儀式を行いました。
 
夫婦同姓・同居を義務づける民法

日本の民法では、夫婦同姓を定めています(民法 第750条・国際結婚のぞく)。さらに9割以上は妻が苗字を変えています※1。夫婦同居も義務づけられます(民法 第752条)。これと、離婚事由としての不貞行為(第770条)から、夫婦の貞操義務を解釈することもあります。また、離婚後は女性のみ再婚禁止期間100日が設けられています(民法 第733条)。
 
これらは、旧来のイエ制度の残りカスのようなものです。形骸化した制度に、もっともらしい理由をつけるため、日々新たに家父長的な観念が発明される、そのように感じてしまいます。
 
うずら

ところで、私はうずらを飼っています。うずらは、日本で唯一家畜化に成功した動物と言われています。日本画には古くからモチーフとしてよく登場し、食用や愛玩として馴染み深い鳥です。私も、うずらをモチーフにした《うずらップ(♀)》というMVを制作しました。
 


うずらを家で放していると、どこでもうんちをするので大変です。トイレを覚えないので、その都度拭くしかありません。毛布にされた時は本当に最悪です!家具の間に挟まれて身動きが取れなくなることが稀にあり、目が離せません。知らないうちに座布団の上でくつろいでいて、お尻で踏んでしまいそうになったこともあります。いつも気にかけていないと、うっかり死んでしまいそうです。また、家禽化の歴史の中で産卵数を増やした結果、抱卵の本能は薄れてしまいました。繁殖には人間の介在を免れません。
 
うずらが人間の都合から解放され、ありのままの姿でいられる場所はあるのでしょうか。例えば、うずらを家から放して、行く末をうずらの自由にゆだねたなら、たちまち猫の餌食になりそうです。野生のうずらならともかく家禽化されたうずらは外では生きていけないのではないかと見ていて不安になります。
 
 
「ありのまま」がないうずら

ところで、「解放され、ありのままの」という考えは、いかにも人間的です。この言葉は、抑圧的状況に対する否定を暗に含んでいます。人は、この言葉を宣言し、強い意志で制度を否定し、DIYの城を手に入れ、ポジションを確保することができます。
 
一方うずらには、ありのままという選択が存在しません。うずらは制度を否定する言葉を持っていないからです。元はと言えば家禽の流通に乗ってダンボールでうちまで運ばれ、食べられる運命だったのが、私の気まぐれで飼いうずらとなり今も生きている。環境に対して否定も肯定もせず、その日その日をただ生きている。そんな悠々としているうずらに私が抱くのは、憧憬と畏敬です。
 
選択肢の無限の可能性と現実的な限定の間で
 
私もうずらのように生きたい!...ですが、私は選択できる生き物です。うずらという圧倒的な他者の近くにいながら、彼女とは全く違う現実を生きている私...、残念です。自分が好きなものも、生きる環境も自分で選ぶことができます。しかし一方、その選択は社会的状況によって限定されもします。選べることと選べないことは表裏一体です。選択肢が無限の可能性に開かれつつ、現実的には限定される。そのはざまで、何かを選ぶたびに社会からは自己責任を問われます。そして選択がマイノリティであるほど、自己責任の比重も大きくなります。
 
「アイ・アム・ノット・フェミニスト!」
 
  • Wachtel © Mai Endo
    婚姻契約作成の過程を記録した「アイ・アム・ノット・フェミニスト」のビデオ・インスタレーションで遠藤麻衣は様々な問題を提起した。それは「誰がうずらの面倒を見るのか?」といった日常的な課題から...
  • Kinder © Mai Endo
    ...「子どもが欲しいのか、それとも子どもを育てたいのか、それならば養子と言う可能性もあるのか」といった根本的なものまで様々だ。
  • Familienfragen © Mai Endo
    ビデオ・インスタレーションは英語字幕つきで、夫婦の寝床越しに映し出された。嫁が男性の家に入るという古い伝統も現代的契約の対照として提示された。
  • Disco © Mai Endo
    婚姻は自由の問題と繋がっているのだろうか。独自の婚姻契約によって自由を守ることは出来るのだろうか。
  • Wachtel 2 © Mai Endo
  • Hochzeit2 © Mai Endo
  • Kuss © Mai Endo

結婚には、未婚・既婚・事実婚しかありません。その中で既婚の選択はマジョリティです。ただ、既婚を選択した場合、上述したような日本の婚姻制度の追認になりかねません。かつてドイツ人の方から、結婚することとフェミニストであることは関係がないのではと指摘されたこともあり、これは日本固有の問題として捉えるべきでしょう。そして、婚姻にまつわる不平等は制度のみならず、社会的規範の問題が大きい。日本社会は女性に従順、貞淑、素直といったものを要求します。
 
婚姻契約というオルタナティブ
 
「アイ・アム・ノット・フェミニスト!」では、婚姻契約という形をとることで、未婚・既婚・事実婚の区別におさまらない、オルタナティブな婚姻のあり方を発明しようとしました。フェミニストという言葉にも立場の違いによる多くのジャンルがあるように、結婚にも多様なスタイルがあって良いはずです。
 
 しかし、ここでもまた問題が発生します。民法第754条には、夫婦間の契約はいつでもどちらか一方の申し出により破棄できると定められているのです。婚姻契約を有効なものにするためには、私たちの婚姻を一度解消する必要がありました。
 
そこで、私たちは契約を結ぶ前に一度離婚することを決意しました。契約期間は3年と設定しています。そして更新毎に1年ずつ期間を延長します。ですので、今後も契約を更新するたびに一度離婚をし、更新したのちに婚姻届を出すことになります。
 
つけ加えて、契約履行後、婚姻届を出すときには姓を変更選択することにします。これまで私たち夫婦は夫の姓を選択していたので、今後3年間の契約では私たちは妻の姓、遠藤に変更します。
 
 
貞操義務に関しては、婚姻の不自由さを解消し、互いの性にかんする多様性を包摂するように、私たち自身の婚姻関係が公序良俗に反しない範囲で項目を考えました。具体的には不貞行為が確認された際、その不貞相手への慰謝料を免除する、などです。
 
また、夫婦間で共有財産として作物を生産し、これを契約立会人の中から希望者に分配することを決めました。これは、夫婦の閉ざされた親密な関係性を社会に開いていきたいという思いからです。
 
遊びのルールを考える
 
夫婦がどちらの姓を選択するか、同居するかどうか、不貞行為を禁止するか、こういった婚姻を巡る諸問題は、法規範ではなく夫婦の自律的な倫理規範に求められるべきものです。
 
私たち夫婦にとって、婚姻制度は遊びの対象となりました。姓の役割交換、モノガミーへの風穴、共有財産の分配、これらを自分たちの倫理規範に基づいた軽やかなルールとして設定し、今後の婚姻生活を遊び場へと変換しようと試みます。軽さ、快楽、そして転化を軸にしたルールです。それは、今ある制度を権利拡張や抑圧からの解放によって改善していく方向とは別の手段です。制度を遊びの対象に変換するのは、ありのままではなく、あるがままで生きているうずら的あり方への敬意でもあるのです。
 
1(平成28年度 人口動態統計特殊報告「婚姻に関する統計」の概要