演劇作家、小説家、チェルフィッチュ主宰
岡田利規
インターコンテクスチュアライゼーションという経験
岡田利規(演劇作家、小説家、チェルフィッチュ主宰)インタビュー
インタビュアー 山口真樹子(ゲーテ・インスティトゥート東京 コミュニケーション&広報)
ドイツの演劇との出会い
The Vacuum Cleaner
| © Julian Baumann
山口(以下、MY) 岡田さんはこの数年、マティアス・リリエンタールがミュンヘン・カンマーシュピーレのインテンダント(劇場長)に就任以来、同劇場のレパートリー作品4作を手がけてきました。その4作目“The Vacuum Cleaner„ (掃除機)は、2020年のベルリン演劇祭で、ドイツ語圏で最も注目すべき10作品の一つに選ばれました。今やドイツの中堅の演出家の中に、自分は岡田演劇のファンであるという人もいます。最初にドイツの演劇や演劇界と接触があったのは、いつでしたか。
岡田(以下、TO) 初めてドイツ演劇をみたのは東京で、日本におけるドイツ年の2005年だった思います。フォルクスビューネのフランク・カストルフ演出『終着駅アメリカ』でした。作品を作る態度が全然違うので面白いと思いました。作るということへの向き合い方の違いを感じました。
MY ドリフみたいだと言った人もいました。
TO わかりますよ。大がかりな舞台機構がばかばかしく使われているということでしょう(笑)。 ルネ・ポレッシュが日本の俳優と作った『皆に伝えよ!ソイレント・グリーンは人肉だと』(2006年、tpt)もみました。彼の戯曲の翻訳が演劇誌に掲載されていたのも読みました。『餌食としての都市』です。ドイツに行ったことはなかったし、ドイツに対して特別に関心を持ってたわけではなかったですが、日本におけるドイツ年が良いきっかけでした。
MY 2006年ミュールハイム戯曲フェスティバルに招かれましたね。
TO サッカーのワールドカップがドイツで開催される年で、それにあわせて、フェスティバルが特別企画としてワールドカップ出場国32か国から一人ずつ代表を招くというものでした。なぜか僕が日本代表でした。それが僕にとって初めてのドイツです。
MY 実際その32人の劇作家の人たちと会ったのですか。
TO はい。ベケットの『ゲームの終わり』を、パートで分けて、それぞれの国の言葉で読むとか、自分の仕事のプレゼンをするとか、サッカー・ゲームを、あの選手が串刺しになっているあのゲームです。
MY キッカーですね。
TO ワールドカップのグルーピングでチームを作って競う(笑)。そもそもあのゲームに触るのが初めてでしたから、難しすぎて。何個もバーがあって、一人で操らなければいけない。でもみんなうまいんですよね。ビリヤードのようなノリで、飲み屋で遊ぶんでしょうけど。僕はもうぼろぼろでした(笑)。エクスカーションにも連れて行ってもらいました。ルール地方の炭鉱跡でした。インターナショナルなプログラムに参加するのはこれが初めてでした。
MY 翌年ブリュッセルで『三月の5日間』が上演され、大フィーバーを巻き起こしました。マティアス・リリエンタールも観ています。
TO確か2日目のパフォーマンスを観てくれたと思います。そのときにはじめて会って、少し話しました。すごくおもしろかったと言ってくれました。
2009年ベルリンHAU、2014年マンハイム「世界の演劇」フェスティバルでの新作初演
MY 翌年には当時マティアスが率いていたベルリンのHAUに『三月の5日間』が招へいされました。
TO 初めてのベルリンでした。欧州の観客の前での上演は2007年以来何度かやっていましたが、ドイツはHAUがそのときが初めてで、ドイツの観客についてなにか違うなと思いました、集中力なのか、吸い取ろうとする態度なのか。それ以降、ドイツの観客の前で何度も上演しましたので、今振り返ると、一番最初に何をどこまで自分が把握していたかわかりませんが、何か違う、と思いました。
MY 大変好評でしたよね。ベルリンの観客はとても厳しくて容赦ないのですが。それで翌年が新作の委嘱になったのですね。
TO 2008年にオフィスで翌年のための打ち合わせをして、最近作ったものをみせてといわれて。その中の『クーラー』を気に入ってくれ、そこから『ホットペッパー、クーラーそしてお別れの挨拶』 につながるアイディアが出ました。
MY その作品が2009年秋にベルリンで世界初演。ゲネプロの際、劇場のスタッフが興奮していたのもよく覚えています。
TO 僕は全然覚えていないんです。。。あのときは『三月の5日間』のヨーロッパ公演が始まり、自分にとってはとても新しいことで、すごいチャンスだと思っていましたが、一方で、プレッシャーが重くて、ある種正念場だったと思います。そのときにあれを作れたのがとてもラッキーでした。
MY 初日大成功でした。その後各地のフェスティバルや劇場に招かれました。それから2014年マンハイムのTheater der Welt (「世界の演劇」フェスティバル)でも同フェスティバルのマティアスが新作を委嘱しました。コンビニエンスストアのアイディアから『スーパープレミアムソフトWバニラリッチ』が生まれました。
TO コンビニエンスストアのようなものはドイツにはない。コンビニをスーパーマーケットの一種と言えないことはないですが、僕らの気持ちのレベルではというか、魂のレベルでは(笑)両者は全然違う。あのときも意図的に、固有性を持つ場所を作品の舞台として選びました。2008年にブリュッセルとウィーンで上演した『フリータイム』はファミレスが舞台だったんですが、その地の観客には通用しませんでした。その通用というのは、絶対的なレベルでの話ではなくて、円を使ってヨーロッパで買い物しようとしても不可能、というような意味です。そこが『スーパープレミアムソフトWバニラリッチ』ではできた、と思っています。そのことは自分にはとても大きいことです。
MY なぜコンビニではできてファミレスではできなかったんですか。
TO その両者の違いではないです(笑)。具体的に言うのは簡単ではないですが、その間に自分に経験の積み重ねがあったから、その意味のビフォー・アフターだったと思います。
MY 文脈化ということでしょうか。
TO まさにそうです。
MY ヨーロッパでの創作、いろいろな観客の前で作品を上演してきた経験の積み重ねですね。
TO そうなんですけれど、一番直接的なのは、その上演に僕が立ち会い、観るという経験を重ねたことです。観客と一緒に観る。演劇を観ることで自分が面白いと思うのは、その日の観客に少なからずに同化するんです。いつどこで誰と見ようが、俺は俺だという感じでは、僕はないんです。しかも僕は演出家でその作品を作った人間で、その作品を観る、というのは、見たことないものをみるのではなく全部知っています。そのパフォーマンスを少しでもよくするために、フィードバックするために観ているのですが、それよりも、その時の観客と一緒になることが、僕にとっては面白くて大事です。その経験の1回1回の積み重ねが、自分の何かになっている。例えば、同じ場所で同じ時期に例えば10回とか20回上演しても、それは毎回違います、それは確かにそうなんです。それでもやはり、場所が変わり時期が変わると、大きく変化します。わかりやすい例ですが、観客がどこで笑うか、は全然違う。いろいろなところで観て、笑いの起こる場所がちがうとわかると、自分が笑わせているというよりも、観客が笑うわけですから、何がおかしいと思うかは、観客のなかにあるものによる。つまり文脈です。どうしてここで笑うのか?は自分にはわからないわけです。字幕が原因になることもあるかもしれませんが、それでも文脈なんです、特に笑いについてはそう言えます。笑いに限りません。そういう経験が何かになっています。何か、と抽象的にしか言えないのですが。その経験のビフォーが『フリータイム』で、アフターが『スーパープレミアムソフトWバニラリッチ』です。
ミュンヘン・カンマーシュピーレ劇場へ
MY マンハイムでの『スーパープレミアムソフトWバニラリッチ』もとても成功しました。その後マティアスがドイツ有数の市立劇場ミュンヘン・カンマーシュピーレのインテンダントに決まりました。記者発表の際、自分の前任者はドイツ語圏以外からも演出家を呼び、国際的なプログラムを組んでいた、それを踏襲しさらに拡大したい、ついては自分がこれまで仕事をしたパリとテヘランと日本とのつながりを活用したい云々といっていたので、あ、これは岡田さんだと思いました。岡田さんがHAUのようなプロダクションハウスや国際フェスティバルではなく、専属のアンサンブルを抱えるドイツの公立劇場というかっちりとしたシステムの中に入ることに対して、多くの人たちがとても心配していましたね。
TO すっごく心配されましたよ(笑)。何人かは本当に親身になって心配してくれました。僕はでも、まあ、いいじゃん失敗しても、と思っていましたが。
Hot Pepper, Air Conditioner and the Farewell Speech
| © Julian Baumann
MY マティアスは、最初は無理するな、自分の(すでにある)作品から始めるのがよいと言い、『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』が第1作になりました。アーティストを守る人だと思いました。
TO そうですね。そして劇場で誰と一緒に作るかというメンバーについて、最初から劇場所属のドラマトゥルグのタルン・カデ、外部の舞台美術家ドミニク・フーバー、衣装も外部のトゥツィア・シャードというチームで、結局4作品ともずっと一緒にやることができました。僕にとってはすばらしいコラボレーターで、それもわかっていたんだなと思います。気分よく、楽しく、やれました。
MY 日本のオフィスの話を、ドイツの俳優がミュンヘンの観客にみせることの必然性についてマティアスに尋ねると、日本の社会の状況はドイツのすぐ先にある状況を先取りしているから、という答えがかえってきました。ドイツの観客にとって関連のある話であり、「不思議の国日本」の話ではない。
TO そこが文脈化のわかりやすい説明ですね。
NO THEATER
| © Julian Baumann
MY ミュンヘンで手がけたレパートリー作品が4本。『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』、『NO Theater』, 『No Sex』それから『The Vacuum Cleaner』です。今から振り返っていかがですか。
TO 個々の作品がどうこうということ以上に、その4つをその順番でやったことで結果的に、僕だけがという意味ではなくて、チーム全体で、プロダクションに長けていった感じがすごくします。もしそれを全部僕だけで担っていたら、『No Sex』 とか『The Vacuum Cleaner』 があのように好評だった理由なんかももう少し自分でわかっているんだろうなと思うんですが。もちろん自分で納得できるものが作れたというのはありますよ。でも、特に文脈化なんてのは、要は僕のわからない文脈の中でそれを通用するものにしていく作業なわけですから、それがうまくいっているかどうか僕にはそもそもわからないというか(笑)。たとえば、『No Sex』 初日の後に、何人かの人が悲しい作品だと感想を言ってくれましたが、なんで悲しいのかと思いましたが(笑)。
No Sex
| © Julian Baumann
MY それは旧世代と新世代のギャップの深さを悲しい、と感じたのではないでしょうか。
TO 日本語で考えると、絶望ということなのかなと思ってます。悲しいかどうかときかれたら、絶望している、と答えたと思います。
日本語で書いた作品をドイツ語で上演するとは
MY ミュンヘンの観客について何か感じることがありましたか?
TO 自分の作品もみますが、他の人のレパートリー作品もみるわけで、そのときって演目をみるのと同時に、観客を観ているというか、観客である体験をすることを通して、その観客について知っていくというか、それを通して何かを得たというのは確かにあるし、その経験は当然、その劇場で上演されるものを作る自分に対しても、無意識のものも含めて、フィードバックをもたらしてます。『三月の5日間』をきっかけにいろんな国のいろんなフェスティバルで作品を上演するということになる以前は、僕は、外国はおろか、東京以外の国内のことだって意識していませんでした。それが、いろいろなところで上演されること、いろいろな観客が観ることが、自分のカンパニーであるチェルフィッチュで作るときの当然の前提に、今ではなってます。それがミュンヘンでは、ミュンヘン・カンマーシュピーレで上演され、そこの観客が見るためのものを作ることだという意識でやりましたから、その意味でいうとちょっと前に戻ったというか。そのことが面白かったし大事でした。これはもちろん、自分の力だけではできないことですからね、第一ドイツ語できませんし。それでも、いいチームの中でやれたから全然大丈夫と思ってました。日本語がわからないかもしれないお客さんに見せることと、ドイツ語で稽古して舞台でドイツ語が発語され、ドイツ語でお客さんに届ける、というのは違うことで、それが面白かった。
MY でもプロセスとしては日本語で書くわけですよね。違和感はないですか?
TO 違和感はありません。前は持っていたけれど、今はなくなりました。たぶん、オリジナルの日本語がどうこうということよりも、それがミュンヘン、ドイツの観客にとっての上演になっているか否かのほうが大事、前者は後者のためのもの、っていうはっきりしたプライオリティーができたからだと思います。前者が持つあらゆる面がすべてそのままドイツ語の上演としても実現されなければとは思っていません。というか、そんなことはできない。僕が自分の感覚とか価値基準を適用して決定できるのは、僕が日本語で書くテキストだけです。そこから先は、言葉がその最たるものですが、自分の価値基準をフルに使うことが必ずしも得策ではない状況で作るわけです。だからチームが必要なんです。
MY それはそうですが、言葉が直接通じないし、普段身を置いている文脈も違うからこそ、より知りたい、理解したい、共通のものを見つけたいという稽古だったと思います。自分で決めてないとおっしゃるけれど、俳優がやってみたことに対して、これがよいか悪いかは岡田さんが判断なさっていますよね。母語のときとはその追求の仕方が違うかもしれませんが。これはよい、これはそうではない、という岡田さんの方向性については、皆全般的に信頼していました。
TO そうですね。ディレクションはしています。でもミュンヘンの公共劇場でつくるという文脈が絡み合ってきている、その上での判断基準を用いていたと思います。
MY ロケットの話がありましたよね。ロケットが地上から発射されるときは巨大な物体ですが、途中で、ひとつひとつ切り離され、そのたびに身軽になっていく。
TO カンマーシュピーレでの経験も、そうなった大きな原因です。例えば文脈に精通していないというのがその最たるもので、何もかも自分が知り尽くしているわけではないという意味では弱い。でも、弱くていいじゃん。ということなんですよね。今言ったような意味で、強くないと演出ができないというのは逆に脆い。という意味で、演出というのは何もできなくてもできるんです。ロケットみたいなもので、本当に宇宙まで飛ばしたい部分って発射するときのロケットの大きさからしたらほんの一部じゃないですか。そんな感じで、肝心な部分だけが届けばいいんだって思ってました。
MY 私は3作品で現場でご一緒しましたが、そういうたとえ話が実に上手ですよね。
TO 演出家ってパフォーマンスの中で最終的な何かをするわけじゃない。だからそれをやってくれる人に対して自分が実現したいことを理解してもらわなければいけない。それは、彼らの理解度に依存してそれがうまくいくのでもいいですけど、こちらの理解させる力をできるだけアップさせておきたいわけですよ、そのほうが、確実だから。そのときに、俺の言葉を理解しろ、ではだめで、相手がわかる言葉で話したほうが断然よい。それを見つけるために下手な鉄砲を数打つわけです、この人にはこの言い方や言い回しが届く、別の人には別の言い回しのほうが伝わる。何個はずしたってよくてとにかく一発当たればいいわけですけど、そういうことは意識してやっているし、長くやっているから多少はうまくなっているかなとも思います。自分が伝えたいとおもっていることは決して簡単に通じるものではない、という自覚だけはちゃんとありますので。
MY それは日本でもそうですか。
TO 日本人だからより伝わりやすい、ということはないです。ただ日本で日本語で伝えるときは、その文脈ならではのたとえ話が使えて楽ですけどね、例えば、ドリフとか(笑)。
MY ITIドイツセンターが毎年テーマを設定して年鑑をだしています。2019年のテーマが「翻訳」でした。演劇における広い意味での翻訳です。英語ではGetting Across (https://www.iti-germany.de/en/publications/publication) というタイトルです。岡田さんと私がインタビューされたのですが、その中で、稽古中に通訳がはいることについて、山口が通訳する内容を自分が理解できないことをどう思うかと聞かれ、ドイツ語に通訳される時間は、ボウリングと一緒だと答えています。ボールを投げて、ストライクとなるか外れるか待っている。
TO 僕実際にそういう感じでその時間を過ごしています(笑)。
インターコンテクスチュアライゼーションと新型コロナウィルス感染拡大
Opening Ceremony
| © Julian Baumann
MY 『Opening Ceremony』 の話を伺います。もともとは、複数の演出家がロベルト・ボラーニョの小説『2666』を舞台化し、24時間、ミュンヘンオリンピック競技場の施設で上演する計画がありました。マティアス・リリエンタールのお別れの企画でした。岡田さんは第3章を担当、会場はミュンヘンオリンピック競技場の素敵なVIPラウンジでした。
TO 僕の担当部分については1月に稽古も終わらせて、完成していたんですけどね。
MY その後新型コロナウィルスの感染拡大で企画が中止となりましたが、7月にオリンピック競技場にて『Opening Ceremony』を手がけることになりました。
TO 5月の終わりにドラマトゥルグのタルンから、ありえないアイディアを思いついた、というメッセージが来て、なんだ一体?と思ってたところ、7月にミュンヘンに来てオリンピックスタジアムを会場にした作品を作ってみないかと。え、え、僕がドイツにいくということ?こんな状況で?と思いましたけど、行くことは二つ返事で決めましたよ、だって嬉しいじゃないですか、こんな大変なときに声をかけてくれて、しかも日本からドイツに連れてくるための手続きとか各方面との交渉とかすごく大変なのに、それでも呼ぼうとしてくれて。そりゃ、行きたくなりますよね。それに、僕なんて3月からずっと熊本の家すら出ないでいた。次にどこかに出かけるとしたらどこになることやらだろう? 東京に行くことになるのはいつのことやら、と思っていたら、まさか次がドイツだなんて、笑えるし。会場がミュンヘンのオリンピックスタジアムということで、2020年のオリンピックが開催される国の演出家のはしくれである僕としては、開会式の演出を担当する可能性もゼロではなかったと言える人間、ということで、じゃあこれを機会に開会式をやってしまおうかな、と思ったんですよね。で、東京のが延期になったので、それを僕がミュンヘンでやるというのはどうでしょうと提案したんです。
MY みんな面白がったでしょうね。
TO はい。マティアスのカンマーシュピーレの終わりに発表される作品としても、クロージングではなくて、オープニングのほうがおもしろいし、ふさわしいと思ったというのもあります。ミュンヘンのオリンピックのスタジアムとその周辺には今も、それができた当時の、民主主義という理想をまだ、まだという言い方になってしまうのが残念なわけですが、持てていた時の雰囲気がある、そのコンテクストも大切にしたいと考えました。はじめてそこを訪れたとき、1964年の東京オリンピックを機に建設された国立競技場周辺の雰囲気にも似たものを感じもしました。
Opening Ceremony
| © Julian Baumann
MY テキストを1か月足らずで書いて、翻訳して。稽古も1週間くらいでしたよね。
TO リハーサルは5日間足らずでした。
MY 1回だけの公演で600人が来場したそうですね。ニュース映像をみていたら、ユリア・リードラ―扮するスーパーマリオが、ものすごく高いところから滑車でおりてきました。
TO あれはユリアがやりたいって言ったんです。僕は自分ではあんなこと怖くて絶対やりたくない、そんなことを人に向かって、やれ、とは言いません(笑)
MY コロナへの応答ということもあるでしょうが、民主主義をめぐる話でもありますね。
TO ベルギーの劇場NTゲントの出版物「Why Theatre?」 にも書いたのですが、インターコンテクスチュアライゼーションということをマティアスのカンマーシュピーレは、異なるコンテクストを持つ人々を率先してかつ徹底的に、実際に混じり合わせるということを通して継続して実現していた。僕もそのたくらみに関わらせてもらえた。そのことを光栄に思っているしそのことの価値は計り知れないとも思ってるんです。このコロナ禍でそうした試みが減り、その価値が認められなくなっていってしまうとしたらということを懸念してます。『Opening Ceremony』 は僕のミュンヘン・カンマーシュピーレへの感謝と、そういったたくらみが世の中でこれからも萎えることがどうかありませんようにという祈りだとも言えます。
MY 国際交流や国際協働を支えるモビリティが著しく制限されました。一方で環境への負荷の低減も叫ばれています。
TO 仮に新型コロナウィルスの感染がなかったとしても、以前から、たとえば地球環境への意識の高まりという趨勢はあるわけで、これもまたインターコンテクスチュアライゼーションの試みを萎えさせるものとなり得ます。ぼくはここまでにさせてもらってきた経験を通して自分が得たパースペクティブや、自分が非力ながらも関わってきたインターコンテクスチュアライゼーションは、それをする際に乗った飛行機の排出されたCO2の総量のマイナスを補って多少なりとも余りある何かだ、と言いたい。
MY 大規模な移動は難しくなり、すでにある作品を受け取るよりは、現地で作る、現地で協働することに移っていくだろうとは思います。ご覧になったフォルクスビューネの日本公演ですが、確か40人くらいの人数と舞台美術の移動でした。でもあのカストルフの作品を招いたからこそ、ドイツの同時代演劇への関心を起こすことができたともいえます。
TO 例えば演出家だけが移動する、というのでも全然何も起こらないよりはいいですけれど、インターコンテクスチュアライゼーションの経験がごく限られた人だけのものになってしまうということには危惧をおぼえます。
演劇のオンライン上演
『「未練の幽霊と怪物」の上演の幽霊 挫波』
| © KAAT神奈川芸術劇場
MY 岡田さんはそういった積み重ねがあったからこそ、ここに至っている。映像の配信でそこをカバーできるものかどうか。『未練の幽霊と怪物』上演の幽霊(KAAT)の配信について、試行錯誤なさっていますよね。
TO 演劇に何ができるかということを、多くの人が、今まではそんなことする必要がなかったというラディカルさで考えるようになった状況を、すごくいいなと思ってました。ライト兄弟の時代に、皆が飛行機を作ろうとして、試作機を作って頑張って飛ばそうとするけど、ちょっと浮いただけでおっこっちゃうっていう様子がひたすら続く映像ってあるじゃないですか、あれ、見てると泣けてきてしまうくらい好きなんですよね。ひたすらトライして、ひたすら失敗する。そうした状況が我々にも訪れたんだ、という感じがしていました。オンラインで演劇やるってどうするの? 誰もわからない、だからどんどん試す。そしてどんどん失敗する。そういう、試作機飛ばそうとして落っこちちゃう一人になりたいなという気持ちがありました。あのアイディア自体はすぐに思いつきました。能のドラマの構造を借りてつくっている作品ですので、たとえばここは国立競技場が立っている千駄ヶ谷のあたり、というフィクションが宿る場所としての、舞台が、どうしても必要なんです。そのためには、俳優やミュージシャンがひとつの舞台の上にいるという、別の次元のフィクションをさらに作らないといけない。それを、近年やっている映像演劇という試みを一緒にやっている山田晋平くんと相談しながら、あのように映像プロジェクションの手法を用いて行ったんです。
MY 見ごたえありました。リアル感もありました。
TO 演劇ってある日ある時の劇場の中で、それとは関係ないフィクションが現れる、観客はれそれを真に受けて時間を過ごす、という変なものです。フィクションと現実が併存している。その様子を、普通に劇場で演劇を上演するときよりも、あれはよりはっきり見せることができて、そうしたものを作れたのはおもしろかったす。
MY 明後日から日本を離れてベルリンに行くのですよね。ベルリン自由大学の学生に、ワークショップをするそうですね。
TO パフォーミングアーツの学科の学生に、実技のワークショップをやります。ケルン日本文化会館でワークショップやシンポジウムもあります。トゥツィアが教えている学校でもワークショップをやることになっています。帰国後は、消しゴム山の東京公演が予定されています。春にはウィーンに行く予定です。今年の春に予定されていた消しゴム山の公演です。
MY その後音楽劇やオペラも手掛けると聞いています。大変楽しみにしています。
1973年横浜生まれ、熊本在住。演劇作家/小説家/チェルフィッチュ主宰。活動は従来の演劇の概念を覆すとみなされ国内外で注目される。2016年よりミュンヘン・カンマーシュピーレ劇場のレパートリー作品演出を4シーズンにわたって務め、2020年『The Vacuum Cleaner』が、ベルリン演劇祭の“注目すべき10作品”に選出。2018年8月にはタイの小説家、ウティット・へーマムーンの原作を舞台化した『プラータナー:憑依のポートレート』をバンコク、12月にパリ、2019年夏に東京で上演、2020年第27回読売演劇大賞 選考委員特別賞を受賞。2020年戯曲集『未練の幽霊と怪物 挫波/敦賀』(白水社)を刊行し、第72回読売文学賞 戯曲・シナリオ賞を受賞。