ネットアート
ベルリン・デジタルアート・シーン展望
ネットアートと呼ばれるものが出現したのは1990年代の半ば。このデジタルアートは触ることもできないし、壁にかけることもできない。そのメッセージ は、言わずもがな、相変わらずインターネットとは無縁の人々のところには届かない。この新メディアアートがオンラインでやっているのは、決して目新しいも のでもない。
それは遊戯心たっぷりにデジタルメディアをキャンバスに、その先駆となったアートと同じようにコラージュやインスタレーション、あるいはハプ ニング、断片化されたウェブサイトを差し出してくる。こういうものが生まれたのは、法学教授ローレンス・レッシグが、ヴィデオや音楽やあらゆる著作物を障害なく引用・サンプリングできることは文化社会の活力ある表現であるとする、インターネット・リミックス・カルチャーなる概念を巷に広めるずっと前のことだ。デジタル化は今や着実に社会のさまざまな部分に入り込み、もうそこから逃れることはできない。一度スマホを手にしたら、それになしにやっていけるのかということだ。そしてオンラインとオフラインが混じりあう新しい遊戯空間が生まれ、現実世界とヴァーチャル世界の交錯がアートの題材となる。
© Aram Bartholl
ユーモラスなミックスとパブリック・インターヴェンションでこの境界領域に専念しているアーティストが、ベルリンのアラム・バルトルだ。 彼の名が知られるようになったのは10年ほど前。コンピューターゲームのようなデジタル世界を素材にし、現実の材料を使って用いてその模造品を発表したと きである。この手の初期作品のひとつは、ファーストパーソン・シューティングゲーム「Counter Strike」に出てくる木箱を実在の品として組み立てたもので、彼はそれを街の道端に置いた。彼はこの「ハッキング」により、今やデジタル世界がいかに 当然のものとなっているかをアイロニカルに問いかけ、それが実在として眼の前に姿をあわらしたことに対する驚愕、困惑、ほくそ笑みの入り混じった反応を 探っていったのである。バルトルはこう言う。「10年前にはまだデジタル世界のものに対してこんな受けとめ方はなかった。最初にそう反応したのはゲーマー たちだった」。模造品をつくるのはその意識化の第一歩でもある、とも彼は語る。バルトルは自分の工房で、息子の学校のワークショップのために人気コン ピューターゲーム「Minecraft 」の剣を木で再現する作業もした。これはレトロなブロック・ピクセルで知られるゲームである。「あれは現実世界とデジタル世界がいかに混ざり合ってしまう かを示すためのものだった。これは今では広くわかってもらえる」とバルトルは回想する。
パブリック・インターヴェンション
バルトルは、ドイツでグーグル・ストリートビューとプライベート領域をめぐる論争が起こって以来、社会はデジタル化によってどんな変化が起こるかやっと理解した、と語る。それに対する反応として、彼は風刺アーティスト&ハッカー集団「F.A.T. Lab」とともに2010年、車の屋根に偽カメラつけたグーグル・ストリービュー・カーのフェイク車をつくった。これは当時グーグルが走らせ、道路とその周囲を探索していたパノラマ・カメラ付きの自動車のそっくりさんである。そして彼らはベルリンのメディアアート祭「トランスメディア―レ」の開催中、この模造車の構成部品をオンラインで公開し、この車をアーバン・インターヴェンションとして街中を走らせたのである。
同じ年、バルトルは別種のパブリック・インターヴェンションとして国際プロジェクト「Dead Drop」をスタートさせた。彼は、オンライン・データ保存法、いわゆる「クラウド」の安全性を巡る論争が起きる前に、そのアイロニカルな選択肢としてニューヨークでUSBスティックを公共の壁に取り付けたのである。ユーザーは自分のラップトップをそこに接続、データを入れたり出したりし、お互いにデータ交換することになっていた。
「デジタルアートのパフォーマンスができる」
キム・アーゼンドルフは、インターネットの情報の流れ、つまり瞬時性に逆らった仕事をしている。ベルリンのネット・アーティスト、アーゼンドルフは、インターネットを経路かつキャンバスとして活用し、これは「デジタルアートのパフォーマンスができる」舞台だと彼は言う。彼のトレードマークなっているのは、ツイッターのクレージーな実験、tumblrピクチャ・コレクションにおける精巧で催眠術的なGIF(無限ショート・アニメーション)、すぐに古びてしまう日々の政治ニュースに対するアクション・ウェブサイトなどである。「ぼくの作品が長期的にインスタレートされることはほとんどない。技術的に期限切れになってしまうんだ。グーグルやヤフーの技術サービスに依存しているからだ。そのサービスがいつか終了してしまうんだ。そしたらパフォーマンスも終わりだ」と彼はスカイプ・インタヴューで語る。
アイディアとコンセプトについては、アーゼンドルフにとって最初の瞬間が決定的だ。2014年2月にオンライン化したアクション「 Gay Check」 もそうである。この風刺アプリケーションは、ユーザーに本人の顔をコンピューターのウェブカメラで分析させ、その性的傾向を探るためのものである。ところがこのアプリケーションを使うと、みな自分が同性愛であるという結果が出てしまう。これは、同性愛者はその顔で見分けることができるとする真面目くさった学術研究に対する回答なのだ。このアーゼンドルフのソーシャル・ステートメントはまさに急所を突き、「Gay Check」は最初の数週間のうちに15万もの人が閲覧した。
アーゼンドルフは、ソースコードを使ってウェブサイトを自分の道具にしている。彼は情報工学を学んだあと、「偶然」芸術大学のニューメディア科に籍を置くことになった人なのだ。彼は文字通りピクセルのシフトを繰り返す作業もしている。というよりソフトウェアに作業をさせて作品をつくっている。こうして生まれたのが「Stroke Waterfall」」だ。これはスクリーン上の微細な滝のアニメーションで、ソフトウェアが画像の各列をソートし、それぞれ特定のパラメーターに従って整理していく。それによりデジタル画像がブロック式のプロセスで作り直されていくことになり、それをリアルタイムで見ていくことが可能だ。このデジタル・ヴィジュアル作品は東京銀座のクリエイションギャラリーG8でおこなわれたグループ展「光るグラフィック展」にも出品された。ピクセル・シフトのアートについてアーゼンドルフはこう語る。「すぐにはわからないものをつくることが、アートという概念を成しているのかもしれない」。わからなくとも、どんなにヴァーチャルあろうと感じることはできる。そのプロセスを見ていくことは大変瞑想的なことなのだ。