「バウハウス オープン・エンド」 に向けて
「世界を再考する」
バウハウスは、設立100周年にあたり 「世界を再考する」というモットーを掲げている。ゲーテ・インスティトゥート東京の所長ペーター・アンダースは挨拶の中で、ドイツと日本におけるバウハウス100周年記念の意味を述べている: それは実験を通じて、先鋭な形で「現代性」を浮き彫りにすることだと
ベルリンの壁崩壊から30年を迎える我々にとって想像し難いことに、壁の建設が軽々しく語られる今日この頃、そのような現状に相対するものとしてバウハウス100周年はドイツ国内外で注目を集めています。
建築物、オブジェ、家具、ドローイング、出版物などが、100周年を記念して世界各地で展示されたことは、既成の概念と形式を打ち破り新たなものを描き出してきたバウハウスの価値が国際的に認識されているという背景の上に成り立っています。創立時より、国際的な繋がりはクリエイティヴィティへと創造意欲、反抗の基礎とされてきました。教育と研究において、創造と建築において、風景とオブジェにおいて、バウハウスは改革運動であり、集団的アヴァンギャルドでありました。そのため、ドイツに台頭し始めてきたナチズムにとっては目障りとなり、早い時期にその活動は禁止されることとなったのです。回顧的で国家主義的であったナチズムに対し、バウハウスはコスモポリタン的、アヴァンギャルド的でありすぎたのです。
国際的なバウハウス:ドイツと日本
文化交流の国際性、メンバーの多様性、大胆な実験的手法はバウハウスが芸術運動の歴史に刻んだ大きな一章の根底にあるものです。その活動は日本へもまた大きな影響を与えました。建築家・川喜田煉七郎が1931年東京に創立した学校はバウハウスの教育理念に基づいています。その支えとなった面々にバウハウスに学んだ山脇巌・山脇道子夫妻や水谷武彦がいたのです。このような日独交流という側面を、ゲーテ・インスティトゥート東京は京都国立近代美術館をパートナーとした昨秋の「bauhaus imaginista - Corresponding With バウハウスへの応答」プロジェクトでも示してきました。バウハウス宣言に始まったバウハウスとその教育は、20世紀初頭当時、近代における政治的・経済的変化への反応として20世紀初頭に次々と創設された実践的な美術大学の文脈の中に位置付けられました。
「バウハウスへの応答」展には、15万8000人という人々が来場しました。併せてゲーテ・インスティトゥート東京で開催されたシンポジウムでは、グローバル化の進んだ現在においても新しい組織構造が必要であるのかという問題について考察しました。今日において私たちはいまだに、教育や芸術、デザイン、文化や社会について再考しなければならないのでしょうか。
日本での展覧会とシンポジウムの結果は、2019年6月までベルリン世界文化の家で続く「bauhaus imaginista」の最終イベントへの入り口となりました。こうして100周年という節目においてまたバウハウスは、文化は国境を超え、歴史的文脈への理解を深め、示し、考察することで互いをより良く知り、現在を定め作り上げていくものだということを、身をもって提示するのです。
バウハウスに関するドイツでの新たな議論
そのような100周年記念の祝賀ムードの中にあって、バウハウスの影響に批判的問題が投げかけられることもありました。アートスペースSavvy Contemporaryのプロジェクトは15平米のミニ・バウハウスを作り批判的思考の場としました。キュレーターのエルザ・ヴェストライヒャーとボナヴァントゥール・ソー・ベジャン・ンディクングによれば、バウハウスのヨーロッパ中心主義的と言われるもの、及び「デザイン、理論、教育における新植民地主義的権力構造」が、ここでの批判的思考のテーマとなりました。(ツァイト紙、2019年8号)また、バウハウスにおける男女平等の問題も議論の対象となりました。ドイツ国営放送ARDのあるドキュメンタリーは以下のような冒頭に始まります。「バウハウスの歴史は男性の英雄たちに関するもので今日に至って女性アーティストたちはその影に隠れてしまっている。グロピウスは、その宣言の中に新しいデザインだけではなく、本当の意味での男女平等を約束する、開かれた近代的な社会の建設を目指していた。実際に女性たちはバウハウスの中でどのような状態にあったのか。作品はバウハウスの伝説にこれまでとは異なった目を向け、独自の視線でその歴史を語る。新しい、約束された自由な人生と仕事を、幻と希望を追ってバウハウスに来た女性たちは、古い女性のイメージと衝突することになる。」(ARD)
近代のモデルとされるバウハウスは、不都合な問いと向き合うことで現在に連れ戻されることができるのです。ゲーテ・インスティトゥートはその活動を通じて、若いクリエイターたちが今日どのように革新的・実験的な創作活動を行い、バウハウスはそのためにどのように刺激を与えることができるのか、という問題に注目してきました。
バウハウス オープン・エンド序章
在日ドイツ連邦共和国大使館と共にゲーテ・インスティトゥート東京は、バウハウス・デッサウと、専門学校桑沢デザイン研究所が協力し舞台芸術とバウハウスに関するワークショップを行うことを支援しました。オスカー・シュレンマーが1920年代にデッサウのバウハウスの舞台で展開した「バウハウス・ダンス」を念頭に、専門学校桑沢デザイン研究所のグラフィックデザイン専攻の学生たちはトーステン・ブルーメ(バウハウス・デッサウ)の指導の下、パフォーマンス「グラフィック・プラスティック・コスミック ‐ バウハウス・パントマイム」の一部を「バウハウス・サロン ‐ オープン・ステージ」にて披露しました。上演後には来場者皆に「バウハウス・ダンサー」になってみる機会が設けられ、会場に設置されたフォトスタジオでは、用意された衣装と小道具で抽象的な「踊る人間」に変身して記念撮影を行いました。ミース・ファン・デル・ローエのもと、バウハウスは「より少ないことは、より豊かなこと(Less is more)」をモットーとしていました。この、本質へ削ぎ落としていくという考え方は世界中でバウハウスのイメージをかたち作ってゆくこととなります。創造世界への影響がはっきりと描かれるほど、その現象のダイナミズムが正しく伝えられることが脅かされることでもあります。「世界を再考する」という実験と現代性への挑戦が、バウハウス創立100周年を迎え現在ドイツで開催されている様々な催し物の、また、ゲーテ・インスティトゥートがパートナー団体と東京で繰り広げる活動の主題となっているのです。
2019年4月30日発行 エクセレント ドイツ・イデー VOL10に掲載