発明
メイド・イン・ジャーマニー
ドイツは昔から職人と発明家の国です。ハンブルクからミュンヘンまで、14の発明を見つけてください。Hamburg, 1969
誰もが、常に1枚以上のICチップ内臓カードを持ち歩いています。情報をカードに保存するというアイディアにたどり着いた最初の人物は、 放送局の機械技師Jürgen Dethloffです。1969年、Dethloffは集積回路(IC)を搭載したプラスチックカードの特許を申請します。もっと見る
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Hamburg
ICチップ内臓カード
Rostock, 1939
Heinkel He 178は世界初のジェット機であり、当時のプロペラ機に比べ、その飛行速度は格段に上がります。その推進力となるターボジェットと呼ばれるエンジンを開発したのが、物理学者であるHans Joachim Pabst von Ohainです。現在ジェット機は、世界中で年間50億人を越える乗客を運んでいます。
© „Ohain USAF He 178 page61“
Rostock
ジェット推進
Berlin、1935年
1935年に、若き土木技師Konrad Zuseは、Berlinにある両親の家のリビングでプログラミングが可能な計算機の設計を始めます。3代目となる試作で、ウォールユニット一台分のサイズの、完全動作する世界最初のコンピュータZ3が完成します。もっと見る
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Berlin
コンピュータ
Leipzig、1650年
1605年、当時ドイツ領にあったStraßburgで世界初の週間新聞“Relation”が発刊されます。当時ヨーロッパは30年戦争の真っ只中であり、遠くで起こっていることをできる限り早く知りたいという理由から、その後まもなくあらゆる地域で新たに新聞が発刊されます。1650年7月1日、ライプチヒで印刷業を営むTimotheus Ritzschは、国王より週に6回新聞を発刊する許可を授かります。Ritzschの“Einkommende Zeitungen”は、世界初の日刊新聞として知られています。
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Leipzig
最初の日刊新聞g
WUPPERTAL-ELBERFELD、1897年
1897年8月10日、化学者であるFelix Hoffmannは、バイエル社(Bayer)のラボで初めて純アセチルサリチル酸(ASS)を生成します。この新薬は、アスピリン(Aspirin)の名称で、世界で最も広く知られる製剤となります。年間5万トンを超えるASSが生成され、錠剤に換算すると地球から月までを往復する距離に相当します!もっと見る
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Wuppertal
アスピリン
Bonn – Bad Godesberg、1915年
1915年ごろのCafé Agnerには多くの学生が訪れます。当時流行のデザートは、生クリームを添えたさくらんぼでした。そこで、Schwaben出身の製菓職人Josef Kellerに、めくるめくアイディアが浮かびます。“かわいいJosefちゃん”と呼ばれたKellerは、このシンプルなデザートから高貴なトルテを生み出します。スポンジの下地の上にキルシュクリームを載せて、薄く削ったチョコレートチップを上からちりばめ、黒い森地方で造られるキルシュヴァッサーを全体にあしらいます。Kellerの創作菓子は黒い森のさくらんぼケーキの名称で世界的に有名になりました。
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Bonn
黒い森のさくらんぼケーキ
Göttingen、1999年
1999年に、Göttingenに住むStefan HellはSTED顕微鏡を開発します。この新たな技術により、わずか数ナノメートルサイズの構造を生きた細胞や組織の中でも観察することができるようになります。この功績に対し、Hellは2014年にノーベル賞を受賞します。もっと見る
出典:映像:Stefan Hell、STED顕微鏡
Göttingen
STED顕微鏡
Mannheim、1886年
最初の“近代的な”自動車は3輪で走りました。1886年1月29日、Carl Benzは自身が製造したモトアヴァーゲン(Motorwagen)で特許を申請します。この車両で最初の長距離走行を企てるのが、Benzの妻であるBertha Benzであり、1888年8月初めに二人の息子を連れて、100kmを越えるMannheim‐Pforzheim間を往復します。ガソリンは途中の薬局で購入しています。もっと見る
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Mannheim
自動車
Mainz、1450年頃
Gutenbergと呼ばれたJohannes Gensfleischは、活版印刷技術の発明者および印刷物出版業の創設者として知られます。この新たな技術によって書籍の大量生産が可能になり、Gutenbergの発明をきっかけにヨーロッパでは1450年から真の印刷革命が起こります。活版印刷は最も重要な世紀の発明の一つに数えられ、ルネサンス期の社会、学問および政治を長期に渡り変えていきます。
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Mainz
印刷業
Waldachtal-Tumlingen、1958年
熟練した鍵師および企業家であるArtur Fischerは、1,100件を超える特許を取得した、ドイツで最も功績の高い発明家です。Fischerの最も有名な発明はSアンカーボルトです。この発明は、従来のシステムに比べ、より使いやすく、時短性と安定性が強化され、世界的な成功を収めます。
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Waldachtal
Sアンカーボルト
Herzogenaurach、1925年
Adi Dasslerは、あらゆる種類のスポーツに最適なシューズを作りたいという使命を持っていました。1928年にアムステルダムで開催されたオリンピックの出場選手たちは、既にDasslerの工房で作られたシューズを履いています。1936年にベルリンで開催されたオリンピックのスター選手であったJesse OwensはDassler シューズを履いて4つの金メダルを獲得しています。1954年のサッカーワールドカップ伝説の決勝戦で一大ブレイクスルーが訪れます。ドイツは、当時無敵と言われたハンガリーに勝利するのです。そしてDasslerが発明したこのスパイク交換が可能なシューズは、世界的にADIDASの名称で知られることとなります。
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Herzogenaurach
スパイクシュー
Würzburg、1895年
物理学教授であり大学の学長であったWilhelm Conrad Röntgenも、当時の数多くの物理学者と同じく、ラボで陰極線を使った実験を行います。1895年11月8日、Röntgenは新種の放射線を発見します。この発見が医学にもたらした驚異的な意義は瞬く間に知られるところとなります。体に傷を付けずに、人間の体の内部を覗くことが初めて可能になるのです。もっと見る
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Würzburg
レントゲン線
Augsburg、1897年
1893年、Rudolf Dieselは新種のエンジンで特許を取得しますが、DieselとMaschinenfabrik Augsburg(MANの前身)の技術者たちが十分な性能を備えたモデルエンジンを作り上げることができたのは、1897年に入ってからになります。今日ディーゼルエンジンは、とりわけ船舶、バス、大型車に適したさらに安定した頑丈なエンジンとして世界的に知られています。
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Augsburg
ディーゼルエンジン
München、1810年
最も有名なミュンヘンの“発明”といえば、もちろんオクトーバーフェストです。ルートヴィヒ王子の結婚式を祝う行事として1810年に開催した競馬を始まりとして、今では、毎年600万人を超える人々が訪れる世界最大規模の祭りとして知られています。学問においても、Münchenには数多くの選択肢があります。15の総合大学、アカデミーや専門大学、11のMax-Planck-Institut、3つのFraunhofer-Institut、4つのLeibniz-Einrichtung、NeuherbergにあるHelmholtz-Zentrumが、MünchenおよびMünchen近郊での研究および研修に大変首尾よく配置されています。
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München
オクトーバーフェスト